佐野史郎のお気に入り


打倒ヒクソン・グレイシー

1997/10/26
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★高田戦勝利後のヒクソンのインタヴュー風景。左上が息子のホクソン、右は弟のホイラー・グレイシー。写真協力/KRS
この間、ヒクソン×高田戦を観ていたく感動したみたいだけど、ヒクソンってリングでもすごく冷静だよね。佐野くんが舞台に立ったときにはどうなの?

練習といっしょじゃないと絶対にダメ。稽古と違っちゃダメなの。「よし、今日は初日だから」なんて頑張ろうって思ったら絶対にダメ。

そうだよね。ヒクソンって絶対に練習と同じように動いてると思うし、普段通りの力を出すために山篭りやヨガをしたりしてるんだろうな。でも、いざ舞台やリングに立つとテンションが上がったりノッちゃったりするでしょ。

それは絶対にダメなの。昔はそれが分からなかったから力が入ったりしてたんだけど、状況劇場を辞めて、1990年に「葵上」で舞台に復帰したときあたりから気がつき始めたのかな。
勝とうとか上手く演ろうとか思ってるとやっぱりダメなんだよ。高田選手は何万人の観衆がいようと無心でいようと思ってたかもしれないけれども、やっぱり勝とうという部分が見えたよね。勝負にこだわってるような気がした。その点、ヒクソンは高田選手を包み込むようだったものね。高田選手も出てきたときはすごいと思ったけど、なんか背負ってるような気がした。一人じゃないんだよね。

なんか、人の気がつかないような部分がずいぶん琴線に触れたらしいね。

これは甲野善紀さんも言ってるけど、ヒクソンは組んだ瞬間に相手と融合してるから、もう他人の体じゃないんだよね。だから相手をコントロールすることや、相手の動きに対処することは自分の体を動かすことと変わらないと思うんだよ。

もちろん自分の体でも思うように動かなかったり、コントロールしきれなかったりすることはあるけれども、そこで何が起きているのか、ヒクソンにとっては常に冷静に判断できていたと思う。だから、許容範囲の外には一度も行かなかったね。

パニックになったら、自分の体でもコントロールしきれなくて、何をするか分からないからね。でも、ヒクソンはパニックにはならないんだね。そのために稽古をするとか、常にそのことを考えるとか、そうしないとそんな体は手に入らないよ。

今度のひとり芝居「マラカス」でも、佐野くんはパニックになるかもしれないよね?

なるかもしれない。だって1時間20分ひとりで喋って動いてるわけだからね。それに何十ステージもやるわけだから、分からなくなる場面が出てくるかもしれないよね。でも、毎日が初日だと思っていればパニックはパニックにならない。台本が血肉化していれば、それを追っていくだけで大丈夫なんだよ。
「葵上」の時もそうだったけど、あの時は澤村藤十郎さんと二人で、何度やっても段取りにはならなかったから飽きることがなかったね。

ヒクソンの最後の腕ひしぎ逆十字固めは、ほとんど段取り通りの入り方だったから、ヒクソンは楽しくはなかったかも。他の選手はどうだった?

今回招待してもらった菊田早苗選手は、残念ながら地味な試合だったね。イズマイウに勝った小路選手と、マルコ・ファスに勝ったアレクサンダー大塚選手は、どちらも番狂わせだったみたいだけど、アレク選手の方が良かったな。小路選手の方が勝とうという意識があるような気がしたね。アレク選手はまず勝てないんじゃないかと思ってたんじゃない?(笑)勝って、自分でビックリしてる感じが可愛かったな。「えっ」って自分でビックリしている素直さというか、自分が相手に対してどう向かい合うかということを重視しているように見えたね。本当に無垢に向かっていってるようなのは美しいね。けっこう、感動したな。

なにしろ、当日の東京ドームのリングを自分の手で立てて、そこで戦ってるような苦労人でもあるわけだから、いつもと同じ感覚で出て行けたんだろうな。そうしたことも知ってるから、プロレス・ファンは大喜びだった。

あと、桜庭選手が最初ポンってアラン・ゴエスのボディーにパンチを入れたときの間合いがすごかったね。まるで気配がなかったものね。オレは格闘技をほとんど見ていないから、舞台の感覚で見てるわけだけど、「ああ、これこれこれ」って思った。自分でやろうと思ってなくて、気がついたら手が出てたみたいな間合いで、本当にビックリした。4時間の興行を見ていても、それぐらい目に留まるような動きはなかなかないね。
ヒクソンはもっとすごいと思うんだけど、まだ細かいところが分からないな。格闘技というと、どうしてもぶつかってる感じがあるんだけど、高田×ヒクソン戦を愛として捉えるか、対立として捉えるかの違いだよね。格闘することが、相対立することが愛になるなんて……みんな、そこを観て欲しいよね。対立はどっちが勝つかってことにどうしてもなっちゃうんだよね。でもそれは、どっちが勝つかじゃなくて、どう融合していったかとかの問題なんだよ。戦うということが溶けあうことなんだよ。その先には死しかないかもしれないけれども、溶けあったりするんだな。

戦うという行為は、一見壊しあっているように観えて、二人で創造したり、生成していくということでもあるものね。

相反するということと、いっしょに作るということが同じだということを解釈するのは難しいのさ。それを頭では分かっていても、芝居に立ちあげようとするとこれがまた難しい。普段は分かっているつもりでも、いざ舞台で向かってこられると、よけたり、攻め返したり、押し返したりしてしまうんだよね。ちょうど芝居の前に刺激のあるものを観せてもらってよかったよ。今度のひとり芝居「マラカス」は打倒ヒクソンでやるよ。(笑)