撮影現場、密着レポート


日本のお父さん“植木等”氏との新春放談

1998/1/7
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植木さんに「わかっちゃいるけどやめられない」と書いてもらい御満悦。
TBSの「1×1」で対談相手をと言われたときに、何人か可能性があって、瀬戸内寂聴さんに相談をしようという案もあったんだよ。実は、状況劇場時代に宴会の席で瀬戸内さんに「あんたは、いい顔してるねー」と言われたことがあって、そんなことそれまでに一度だって言われたことなかったから、そんなことが励みになっていたところもあるかもしれないんだよね。だから、俳優の恩人としてこれからのことを相談したり、この日本を生きるにはどうしたらいいのかとか、在ること無いこととがいっしょなこととか話そうとも思っていたんだ。

植木さんとは無責任について話したりするのかなと思ったけど、そういうわけでもなかったね。

意識したわけじゃないけれど、植木さんもお坊さんの子だし、世界をどう見ているのかをどうしても聞きたかったんだろうな。植木さんみたいに真面目な人を知らないし、オレはいいかげんで植木さんはちゃんとしてる。だけど、人に頼まれたことを裏切るわけにはいかないという植木さんの律儀さと、何でも人のせいにするというオレの無責任さは紙一重で同じだと思うんだよね。(笑)

植木さんには師匠がいなくて、仕事が師匠だったという発言もあったけど。

あれは、ウソだな。(笑)
師匠がいないってことは、自分で責任をとらなければならないから自分が師匠だということだものね。もちろん、自分という師匠をもう一人の他人として持てるということは、素晴しいことだね。

佐野くんにとっての師匠というと。

やっぱり唐さんだよ。まあ、私以外の人はみんな師匠ですよ。(笑)
ということは、師匠がいないということと同じなんだよ。私は師匠だらけ、植木さんには師匠がいない。同じことなんだよね。

ハナ肇さんはじめクレイジー・キャッツの方々も何人かお亡くなりになってるから、その話しになったらウルウルきたね。

みんなウルウルしたね。どこに出してもウケる自信のある、指揮者と弦楽四重奏のコントさえも、五人いないから出来なくなったという話しだったよね。植木さんは世界的に有名な指揮者に頼んでもう一度やってみたいと話してたけど、まあ、青島都知事を呼ぶしかないんだろうけどな。

お笑いというと、クレイジー、ドリフ、ひょうきん族、いまではSMAPみたいな流れになってるよね。(笑)

ドリフターズにはクレイジー・キャッツほどの洒落っ気はなかったよね。志村けんさんが出てきてからは凄みが付いてきて恐ろしいほどだけど。(ビート)たけしさんも、クレイジーの洒落っ気の方にはあえていかずに浅草の人情の方を選んだという話しだった。とはいっても、たけしさんは洒落っ気のあるスマートな人だけど。

植木さんという存在は、昭和30年周辺に生まれた人間にとっては、多大な影響を受けた存在だよね。

やっぱり植木さんは理想の親父像なんだよね。さらに上の時代の父親像は、小津安二郎監督の笠智衆さんだろうけど、実際にウチの親父と植木さんは同じ歳だし、ウチの父親も変にギャグを飛ばしたりC調なところがあったりするからね。

植木さんは71才でいまや日本のお父さんからおじいさんに近い存在になってしまったけれども、伊東四朗さんが日本のお父さんかもしれない。

そうだよね。まあ、オレは間違っても日本のお父さんにはなれないね。(笑)
そうは言っても植木さんは50才過ぎても学生服を着せられていたという話しだったし、オレも50過ぎてもラバーを着せられたり、木馬に乗ってるのは間違いないだろうから諦めることはないか。(笑)