橘井堂 佐野
2000年9月26日

なぜか「フードファイト」にアンディ・フグ
ドラマ「フードファイト」で書き忘れたことに、アンディ・フグのゲスト出演のことがあるんです。
直後でしたからね、亡くなられたのは・・・。
あれは、始めは、少年がジャイアンツの松井選手に会いに行くという設定だったのですが、当時、優勝争いで、まだピリピリしていた長島監督に、ビビッて、誰も声がかけられなかったので、急遽、フグに会いに行くという設定になったそうです。
なんて、いい人ダッタンダ!!!!
で、実は、このホームページの編集をやってる友人のエカは、フグと同じ正道会館に通っていて、オジサンながら試合をやったりしているらしいんですわ。
詳しいことは分からないんだけど、以前「PRIDE.4」に連れて行ってもらったこともあって、生のヒクソン・グレイシーや、まだブレイク前の桜庭とかをリングサイドで観たときの興奮は、いまだに蘇ってきます。(★その時の観戦記はここです。
僕は格闘者ではないけれど、マネージャーのナベ氏共々、エカはかなりの格闘モノなので、ここはひとつ、フグ追悼ということで、やはり高校時代からの友人、最近亡くなってしまった、奥井さんにも天国からのインタビューでも取ってもらって、特集を組みたいと思います。
僕のファンの方は、「え?なんで?サノシローと格闘なんて関係ないジャン!」と思われるかもしれませんが、役者の身体もまた、同じ武器なのですから、演議論と重なりもするのです。
ちなみにエカは、普段はフリーの本の編集者で、以前はペヨトル工房という出版社で、「夜想」「銀星倶楽部」「WAVE」といった、コアな雑誌の編集をしておりました。
ジャイアント馬場の本も出しとります。
では、エカこと、小川功さん、どうぞ!!!!!!

って、いきなり振ってしまうところが佐野の自分勝手なところで、まあいつものことなので仕方ないんですけど、いつか復讐してやります。
橘井堂のHPを制作しております、小川です。いつもご覧いただきありがとうございます。
「ちょっと、アクセスが遅いんだけど」とか苦情のメールやリクエストなどありましたらどんどんお寄せ下さい。現在、前向きに検討中ですので。
そうだ、夏に佐野一家といっしょに海に行ったのですが、海の真ん中の瀬でちょっと泳いだ後、船に上ろうと思ったシロウ君。体がなまっているのか片足を船にあげたまま、船の舳先から後ろまであっちにウロウロ、こっちでドボンと全然へなちょこで上れないんです。娘の八雲をはじめ船の上ではそのコントをみてみんなで大笑いしていました。
終いには波で揺れ動いた船と瀬に挟まれて、大けがをしそうになる始末。「いや、あの時は危なかったよ。お腹にウッと力を入れたから助かったけどな」(本人談)そんな力があるならさっさと上ってこいよ。(笑)
ヴィデオを回しておけば良かったのですが、それを見ていた弟の和也君の奥さんはあとで真希ちゃんに「お義兄さんって、あんな人だったんですか?」と、佐野家での信頼度をいっぺんに下げたようでした。

と二度と振らないように釘を刺したところで、アンディさんのことですが、ボクは正道会館の柔術クラスでブラジリアン柔術(そのなかでもグレイシー柔術が有名ですが)を習っており、いつも横でチーム・アンディの練習や試合前になるとをやってくる海外のK-1戦士の姿を観ていました。
ロッカーで着替えてる横にアンディさんがいたり、シャワーから出てきた間近で見るアンディさんの体のすごかったこと。K-1初期の頃の「格闘技通信」に載ったアンディさんの後ろ姿のマッチョな写真がそれはそれはカッコよくて切り抜いたりしていたのですが、男の後ろ姿に惚れたのは状況劇場の十貫寺梅軒以来だと思ったものでした。(唐さんの役者紹介の後の後ろ姿が渋かったんです。)
アンディさんはクーラーをかけても汗だくになるような夏でも道場の窓を締め切って熱気ムンムンの中で練習するので、横で稽古している私たちにとってはたまりませんでした。「ウワっ、今日はアンディさんが練習している」と道場に入ると暑さで直ぐに分かりました。
最初の頃はK-1で負けが続いたので、空手家がボクシングを習ってもバランスを崩すだけだとか、酷評されていましたが、きついタスクを自分に課して、それをクリアしていくことで確実に結果を出していった人でした。それが94、95年と初戦敗退だったK-1グランプリの96年の優勝に繋がったのだと思います。自分を信じて信念を持って猛烈に練習をしていたのだと思います。
なにしろ39度からの熱があってスイスから日本に帰ってきても、こんなに熱が続くのは気合いが入っていないからだと、お盆休みの道場を自分で開けて、一人で練習をしていた人です。亡くなる一週間ぐらい前のことですが、それをたまたま見た柔術の本間聡先生に、K-1のドクターが「本当にアンディは練習していたの? 医学的には考えられないよ!」とわざわざ確認しに来ていたほどです。ドクターは心底驚いていました。
正道会館は基本的には空手の道場なので「押忍」と挨拶すると、アンディさんも「押忍」と返してくれましたが、伝説の超圧の握手をしてもらわなかったのが悔やまれます。

正道会館の柔術クラスの平直行先生は、試合の時に何時もアンディさんのセコンドについていたこともあり、「今でも死んだ気がしないんだよ。どっかにいるような気がして。そこの階段を上って道場に来るような気がする」と言ってました。そうなんですよ。 馬場さんの時もそうでしたが、普段から雲の上の人だから、亡くなって本当に雲の上に行ってしまっても、その存在は変わらないような気がするんです。

今度のK-1の東京ドームの決勝戦には、佐野を連れていこうかな。役者としての体の使い方などではヒクソンや古武道の方が参考になるかもしれないけれども、フィリォとかレ・バンナとかホーストとか、みんなそれぞれにすごいからね。

目次ヘモドル