2014年11月26日
中川安奈さん、ありがとうございました
11月24日、青山葬儀所にて、10月17日に子宮体癌で亡くなられた中川安奈さんのお別れ会に参列させていただいた。
笑みを浮かべた祭壇の安奈さんの写真の周りにはたくさんの赤いバラで埋め尽くされていて、おおらかかつ繊細な彼女の人柄にピッタリだった。
49歳の若さで逝ってしまうなんて・・・ご主人の栗山民也さんは、けれど気丈に、演出家らしく安奈さんに対し「最後のカーテンコール」をと、参列者みんなして拍手で送った。
バラの献花でお別れをした後、栗山さんにお悔やみを伝えると、その目から大粒の涙がこぼれた。
熊谷真実さんや岡本健一さん、上條恒彦さんがお別れの言葉を捧げていらした。
多くの彼女の仕事仲間、俳優仲間たちが列席していて・・・それぞれの思い出をかみしめていらしたにちがいない。
ここ数年、尊敬する先輩たちが次々と旅立っていってしまい、残された我々後輩たちは戸惑うばかりでいるが、同年代や若い世代の仕事仲間が亡くなるのはなんともやりきれない。
殊に濃密な時間を共に過ごした作品でご一緒させていただいた方々に対する想いは特別だ。
中川安奈さんと出会ったのは1992年。
ちょうど、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」が放送されていた頃。
竹内銃一郎さんの作、演出で「東京大仏心中」という、小津安二郎監督の映画作品をモチーフにした二人芝居だった。
僕はまだ30代だったが、老けメイクで老いた父親役、安奈さんは結婚を前にした娘役。
小津監督の「晩春」などのシーンが引用されていた。
僕は20代最後に劇団状況劇場を辞め、小津安二郎や成瀬巳喜男などの古き良き日本映画に指針を求めて映画の世界に足を踏み入れた経緯があったので、この舞台に対する想いはひとしおだった。
今、僕は、「晩春」の中で父親役の笠智衆が言う「お父さんはもう56だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。」というセリフの歳を越えている。
もう一度、あの役をやってみたいという想いもあるが、安奈さんは娘ではなく、嫁いでいって、しかももう戻ってはこれない。
二度と戻らない舞台の時間を、せめて想い返してみることにしよう。
安奈さんとは、もう一本、舞台で共演させていただいている。
やはり竹内銃一郎さんの作、演出で、「東京大仏心中」を機に、僕と竹内さんとでスタートしたJIS企画のなかの一作、「今宵限りは・・・」がそれだ。
出会ってから10年経った2002年、今度は夫婦役だった。
大正時代のパリの藤田嗣治ら日本人芸術家たちの愛と葛藤の物語。
竹内さんならではの、なんともいえない笑いや無常感にあふれていた舞台で、忘れられない作品のひとつだ。
岡本健一さん、加納幸和さん、大森博さん、谷川昭一郎さん、清水真実さんでの舞台。
僕は詩人の金子光晴役。
安奈さんとの冷え切った夫婦の会話のやりとり・・・ああ、今でもテーブルをはさんでのやりとり、鮮明によみがえってくる。
旅公演も楽しく、いっつもみんなでご飯食べに行ってたな・・・。
あ、思い出した!!稽古中、真夏の錦糸町あたりの稽古場で、工場を改築した稽古場だったから屋根が熱せられていたのか、ものすごく暑かった!!
で、両国の花火大会があって、稽古を夕方で切り上げて、みんなで花火観に行ったんだ。
両国から浅草まで歩いて行ってホッピー飲んだな。
安奈さんは酔うと「安奈ちゃんね」とお子ちゃま言葉になってくるので、みんなを和ませてくれていたっけ。
もうちょっと酔うと「あんちんね〜」となった。
ゴメンね、安奈さん、余計なこと喋っちゃって・・・。
その後、ご一緒することはなかったけど、今年は「GODZILLA」の公開があったので、二人してゴジラ話で盛り上がったことを想い返していたところでした。
安奈さんは1991年公開の名作「ゴジラVSキングギドラ」の主演でしたし、安奈さんからアメリカに行ったら反応が大きくて、ゴジラに出ていることがいかにスゴイことなのか・・・って話してくださいましたよね。
僕も「ゴジラ 2000」に出演していて全米公開していましたから、いつかそんな機会があればいいなあ〜と思っておりましたが、今年、ハリウッドのワールドプレミアム公開、行ってきましたよ!!・・・その通りでした!!!!
・・・安奈さん、「ゴジラVSキングギドラ」ではタイムワープできる未来人役の安奈さんだったけど、もしも時を戻せるなら未来からコントロールしてみてくださいね。
ありがとう、さようなら、また会う日まで。
★2002年公演JIS企画「今宵かぎりは・・・」旅公演でのスナップ。カクテル飲んでるね?まだ「あんちんね〜」とはなっていない、煙草片手にクール!!