橘井堂 佐野
2024年2月8日

母が永眠しました

2月2日、母、禮子が永眠しました。
92歳。
生前、お世話になった皆様には、心より御礼申し上げます。

2000年に父、義和が他界してから、松江の実家に暮らしておりましたが、近年、かなり弱ってきて、施設のお世話になっておりました。
食べることがだんだん難しくなってきて衰弱したようです。

松江の実家、その家屋は明治時代からのもので150年もの時が流れ、老朽化には抗えない状態ですが、それでも母は、「家」を守ることを生き甲斐として、その生涯を閉じたように思います。
「家」に縛られることなく、自由に生きれたらよかったのに・・・とも思いますが、時代が変わり、価値観も変化していくなか、そこに馴染むことは難しかったのかもしれません。
祖父母、両親、弟妹、住み込みの看護師さんたち・・・
お盆や正月には親戚が集まり、従姉妹弟達も賑やかで・・・昭和の大家族の幸せが懐かしく思い返されます。
代々、町医者の佐野家の長男として医院を継ぐことができなかったのは申し訳なかったような気もしますが、一方、ピアノや茶道を嗜んだり、漢詩を好んだりもしていましたので、私が芸事の道に進んだことを喜んでもいました。

今は、亡き父と、あちらの世界で、仲良く過ごしてほしいと思います。
バイオリンや写真が好きな父でしたので、久しぶりに一緒に演奏してほしいものです。
これで、肩の荷が降りたことと思います。

昨年の、箱根彫刻の森美術館での佐野史郎写真展『瞬間と一日』や、新潟、新発田の吉原写真館での写真展『まなざしの先に俳優 佐野史郎』に於いても父の撮影した若き日の母の姿をご覧いただけましたし、母や父の、良き供養になったと思います。
2017年に放送されたNHKの番組「ファミリーヒストリー」でも、両親と「家」への想いが描かれておりましたし、同番組もまた、供養となるように思います。
あらためて、芸能の世界は、この世とあの世をつなぐものなのだな・・・とも思うのです。

30年ほど前、ドラマのマザコン役でお騒がせしていた頃、役ではなく、本当にマザコンじゃないか?と言われもしましたが、母のいなくなった今、否定はできない心境です。
ただ、訃報を聞いた時、特に悲しくもなく、棺の中のその顔を見ても、涙ひとつ出ませんでした。
そう遠くなく、息を引き取ると覚悟していたこともありますが・・・なんですかね?
母が死んだという実感がないんですよね・・・。

ただ、喪失感は確かにあり、なんだか気の抜けたような状態でいます。

吉原写真館でプリントしていただいた父の撮影した母の写真が、とてもよかったですし、これからまた、展示する機会があるかもしれません。
命は記憶と、写真の中で生き、これから新たな道を歩み始めるようにも思えるのです。

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★僕が生まれる前の結婚当初、山梨の借家にて。


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★写真が趣味だった父は、新婚当初、母をモデルにたくさん写真を撮っていました。


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★水道は井戸水だったのかな?


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★ミシンを踏む妻の姿。写真好きの旦那が必ずやっていた昭和の姿?


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★ラブラブのシルエット。


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★楽しそうですな。アラーキーのような父のまなざし。


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★20年くらい前の母、これは息子のまなざし。


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★私が生まれると、母の表情も変わりますね。


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★遺影に使用した写真。これも20年くらい前、出雲大社の母の実家の写真館、独立軒のいとこ甥の撮影だったかな? お疲れさん!!!!

橘井堂