橘井堂 佐野
2022年4月30日

小坂忠さん、ありがとうございました

中川イサトさんの訃報を聞いたばかりなのに、小坂忠さんまで亡くなられるとは…。

数年前、癌の手術を乗り越えた喜びを全身にみなぎらせて唄ってらした姿が強く印象に残っています。
代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」では、アンコールで客席にいた松任谷正隆さんや僕を呼び込んでぶっつけのセッションをしたり。
東京フォーラムでの大々的なSONGS&FRIENDS「ほうろう」も、忠さんの代表的なアルバムを軸に、これまでの音楽生活の集大成といった趣で、けれど、ちっとも懐古的でなく、今を精一杯生きる喜びに満ち満ちていらっしゃいました。 他にも横浜の「サムズアップ」での、鈴木茂さん、中野督夫さんとの「完熟トリオ」での演奏も忘れ難いです。
その中野さんも、今はいらっしゃいません。
小坂忠とフォージョーハーフ、はっぴいえんど、センチメンタルシティロマンスのメンバーで組まれたユニットも、今想えば、夢のようです。

体を悪くなさった少しばかり前、僕がドラマのロケで沖縄にいたところ、たまたま滞在していたホテルが同じで、ばったり出会い、びっくりするやら、嬉しいやらで、思わぬ再会に喜びの声を上げたことも、忘れられません。

70年代によく聴いていた忠さんでしたが、牧師さんとなり、ゴスペルシンガーとして音楽を続けてはいらっしゃってはいましたが、僕は生のステージや新譜を聴く機会からは離れていて、ちょっと寂しい想いもありました。けれどその分、2001年に新宿厚生年金会館行われた「小坂忠&FRIENDS」でのライブは余計に嬉しく、それはそれは盛り上がりました‼︎
そりゃそうです、エイプリルフール以来のバンド仲間、細野晴臣さん、そして、忠さんと細野さんが知り合った当時はまだ高校生だった林立夫さんや鈴木茂さんもそのコンサートでご一緒だったのですから!
その時の打ち上げがきっかけでみなさんとお話させていただくようになったんです。

想えば、忠さんを最初に観たのは、中学生の時、テレビ番組「ヤング720」で。
恐ろしげな風貌のバンド、エイプリルフールのヴォーカル。
その時は、メンバーの顔も名前も知らず・・・というか、長髪で、みんな同じ顔に見えていて、ベースは細野晴臣さん、ドラムは松本隆さんだったということを知ったのは、はっぴいえんどのプロフィールを知ってからのこと。

昨年、武道館での松本隆さんの「風街オデッセイ2021」で小粋に唄ってらしたのを観たのが最後となってしまいました。
実は、舞台裏では車椅子に乗らなければならないほど、弱っていらしたそうですが、そんなことは全く感じさせない凛としたお姿でステージに立っていらっしゃいました。

WOWOWで放送された〜TOKYO ROCK BEGINNINGS-日本語のロックが始まる「はっぴいえんど」前夜〜 の撮影も忘れられません。
君塚太さんの「TOKYO ROCK BEGINNINGS」を元に、君塚さんが構成、堤幸彦監督、案内役が佐野という、彼らの音楽を十代から追い続けてきたメンバーによる、その創成期に迫った番組でした。
松本隆さんや細野晴臣さんには、はっぴいえんどのことはもちろん、エイプリルフール時代やその前のバンドのこと、高橋幸宏さん、SKYEの林立夫さん、鈴木茂さん、小原礼さんには、当時はまだ高校生だった彼らの視点から・・・その中で、フローラルで最も早くからグループサウンズとして世に出ていた小坂忠さんから伺ったお話は、とても貴重なものでした。
お話ししている時の声も、こちらが安らぐような、心地よさでした。

色々な想い出が巡ります。
病を乗り越え、牧師として、ミュージシャンとして、最後まで素晴らしい歌を届けてくださり、本当にありがとうございました。

僕も病を乗り越え、まだまだ表現の道を歩み続けるつもりではおりますが、どうか、その、優しい眼差しと笑顔で、天国から見守ってやってくださいませ。

忠さんの歌声と音楽は、これからもずっと聴き継がれるでしょうし、若い世代に、その魂も受け継がれて行くことと思います。

安らかにお休みください🎶

橘井堂