2026年4月28日
1974年は大切な年だった。 神田神保町の『美學校』油彩画工房で、中村宏さんから絵筆でもって表現の最初の手ほどきを乞うたこと。 シェイクスピア劇を通し、演出家の出口典雄さんから、これまた最初の教えを乞い、俳優の道の第一歩を歩み始めたこと。 そして、紅テント、状況劇場の『唐版・風の又三郎』を、当時はまだゴミ捨て場だった夢の島、そして上野不忍池、水上音楽堂でその舞台を観たこと。 中村宏さんも今年、逝去なされた。 美學校で青林堂のつげ義春集を入手したのもこの年だった。 中村先生も、つげさんも旅立たれた。 水木しげるさんも長寿だったけれど、画師はご長寿の方が多い印象だ。 それでも、巨星がなくなるのは寂しい。 その光は、何億光年の彼方から届く星の瞬きのように、星そのものが消え去っても、その光が届かぬところまで離れなければ、光が消えることはないのかもしれないけれど。 それにしても篠原勝之さん〜クマさんの訃報は、やはり、まだまだ早すぎるよ・・・ ゲージツカなのだから・・・ 出口さんはもういないし、唐十郎さんも、李麗仙さんもいない。 嵐山光三郎さん、桑原茂夫さんも。 安保由夫さん、ナジャのクロちゃん・・・ つい、この間まで、一緒に盃を交わしていたのに・・・ クマさんを、まずは一方的に見かけたのは、夢の島での風の又三郎の舞台。 テントに押しかけた客を入れるのに、鮨詰め状態でなければ入りきらず、クマさんは「もっと前に詰めて!!」と、あの風体で、やはりコワモテの劇団員ギューちゃん〜山口猛さんと一緒に大声で客入れするものだから、客は素直にいうことを聞かざるを得ない状態。 もう、そこから芝居は始まっていた。 いや、紅テントに向かう東西線南砂町駅や上野駅から、そして、紅テントに向かう客たちの向こうから聞こえる劇中歌の伴奏や劇音が聞こえ始めた時から始まっていた。 役者だろうが、大道具小道具、舞台美術だろうが、裏方も役者もお客も、もう、ひとつになって、異空間へと位相が始まるのだ・・・風又のポスター、最後のヒコーキ・・・回転するプロペラ・・・中村宏さんの画のモチーフとも重なって感じていたっけ。 それから6年ほど経って入団した状況劇場。 稽古が終わっての宴席に、クマさんもやってきて、唐さんたちと交わされるヘンテコなことや油断ならぬ気配やら。 入団したての僕は、先輩たちの後を金魚のフンのようについてまわっていたっけ・・・。 クマさんはその頃、エアブラシの絵やポラロイド写真を撮っていた・・・それから鉄へ。 劇団とは少し疎遠になっていたような時期もあったけど、状況劇場が解散して、僕も映画の世界に入ったりしてから、また、新宿のナジャなどで、四谷シモンさん、若松孝二監督や嵐山光三郎さん、村松友視さん、先輩役者の十貫時寺軒さんや石橋蓮司さんとお会いしたり、不破万作さんと共演させていただいたり、転位・21の山崎哲さんとの交流から、クマさんとも時折お会いしていて、状況劇場の輪が途切れることはなかったように思い返します。 テントの芝居も、ずっと観続けていたし。 で、そんなこんなで時は経ち、10年ほど前、クマさんが小説『骨風』で泉鏡花賞を受賞したのをお祝いに、授賞式へ金沢へみんなで繰り出しましたっけ・・・ 状況劇場から唐組へと変わり、唐さんの片腕ともなった久保井研や、状況劇場初期の麿赤兒さんや四谷シモンさんや・・・。 『骨風』は、クマさんの生い立ちや、その頃住んでいた山梨の韮崎の日々、若松孝二監督を追悼するようなクマさんとの時間が描かれていて・・・。 そうして、山崎哲さんが『骨風』を舞台化。 当初は状況劇場の音響効果を支えていた役者、安保由夫さんを軸に脚本を構想なさっていたようだったけれど・・・ でも、安保ちゃんが亡くなってしまって・・・安保さんの追悼ともなり・・・ 状況劇場の初期の2枚目スター、若松孝二監督、初期の作品の数々の主演を務めた吉沢健さん、そして、四谷シモンさん、やはり状況劇場から大久保鷹さん、梅軒さん、若松組、晩年の主演俳優、井浦新も集結し、若手の役者たちと共に、厳しい厳しい稽古と舞台に臨んだのでした。 もちろん、クマさんも参加。 サノは、クマさんを演じるという重責。 やるだけやった・・・という想いと、やはりどこまでやっても、元々の人間が汚れていてダメだな・・・という想いと。 開き直りと自責と。 まあ、それは今も変わらない。 それでも、振り返れば夢のような舞台でした。 初期の状況劇場にもいた、舞踏家の中嶋夏さんの舞踏で始まる『骨風』の舞台。 その夏さんも、今はもう、いない・・・ 李麗仙さんが稽古場に来たり・・・李さんも・・・ その頃クマさんは、鉄からガラスへと移行していて、小説も書き続け、精力的に創作活動を続けていました。 山梨の韮崎の工房、お宅にもお邪魔しましたっけ。 自分のルーツは出雲だ・・・ともおっしゃっていて、神棚にもお札が。 その後、クマさんは、山梨を後にし、奈良へ。 奈良の人々との交流は、クマさんを随分と元気にしているようにも見えました。 ひたすら手ごねで、ロクロは使わず、茶碗を作り続け・・・ 恵比寿のギャラリー、LIBRAIRIE6では、何度も個展を。 魅入られるその茶碗。 我が家でも時折、クマさん手製の茶杓でもって抹茶を入れ、お茶をたてる。 世の中はコロナ禍へと突入。 こちらは多発性骨髄腫と闘病。 クマさんからは、何通もの励ましの葉書をいただいた。 そこには必ず、「念波観音力」と。 退院祝いには「おめでとう。生命は大切にするんだよ。」とも。 退院後、マキと一緒に奈良を訪ねて傾けた盃は、本当に美味しかった。 最後にお会いしたのは、昨年、夏。 奈良での小泉八雲朗読のしらべの公演があったので、お誘いした。 「うとうと寝るかもしれないけど・・・」と言ってたけど、終わって、クマさんご贔屓のお蕎麦屋さんで一献。 SNSには嬉しい感想。 「西大寺駅そば。状況劇場の最後の役者・佐野史郎の朗読会『小泉八雲朗読のしらべ』があるというので、バスで〈秋篠音楽堂〉へ。久しぶりに佐野の朗読。眼を瞑り『耳無し芳一』を聴いていたら宝井馬琴の講談のように映像が立ち上がった。気分良く終演後、贔屓の〈きみなみ〉で久々に一献。」 状況劇場最後の役者・・・という重みと、クマさんにあまり褒められた記憶がない役者としては、あまりにも嬉しかった。 それがいけなかったか・・・ 訃報を受け取ったのは恵比寿のギャラリーLIBRAIRIE6で開催中の「愛する芸術家たち 細江英公と6人の作家たち 金子國義、四谷シモン、野中ユリ、合田佐和子、瀧口修造、澁澤龍彦」展へ向かう途中。 「ギャラリーに飾られたそれぞれの作品と細江さんの写真 シモンさんは新作の少年胸像を 美しかった…透き通ったようなヒトガタ… で、ギャラリーに向かう途中、クマさん〜篠原勝之さんの訃報を知る ギャラリーに林海象監督が来る こないだより元気そうだ シモンさんも来廊し、共にクマさんの死を悼む いろんな想いが渦巻くが、言葉にはならない 唐十郎という暴風に巻き込まれ、絡め取られ、飛びこみ出会ったとてつもない先達 ただ、楽しかった、あるいは、そんなトンデモナイ時間が思い返され…」 そう呟くしかなかった。
★昨年夏、奈良、西大寺にて。
★ナジャで、梅軒さん、クマさんと。
★『骨風』を観に来てくれた遠藤賢司さんと、久しぶりの再会のクマさん。 お二人は映画『ヘリウッド』で共演!!
★『骨風』の楽屋裏にて。手前より、井浦新、クマさん、十貫寺梅軒さん、四谷シモンさん、奥には中嶋夏さん。
★『骨風』に集まった元・状況劇場の劇団員〜初期から最後まで。 前列左より、石川真希、十貫寺梅軒、李麗仙、吉沢健、山崎哲、後列左より、伊藤正之、四谷シモン、篠原勝之、大久保鷹、佐野史郎
★『骨風』開演前のクマさん。