橘井堂 佐野
2018年2月22日

大杉漣さんとの想い出
あまりにも急な大杉漣さんの訃報に言葉も見つからず、しばし呆然とするしかなかった。

昨年末、白石加代子さんとの舞台「笑った分だけ怖くなるvol.2」には観に来てはいただけなかったけど、「当日、連絡してもいい?」とスケジュールと照らし合わせて下さっていた。
お花もいただいた。
これまで何本もドラマなどでご一緒させていただいたけど、最後の共演は昨年のNHKのドラマ「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」で、外務省の人間として共演。いかにアメリカと沖縄返還の交渉をするか…で意見が対立するシーンが印象的だった。
大杉さんは小道具で使う茶碗を、ご自前で準備なさり、持参して演じていらしたのが印象に残っている。
こだわるところはこだわる役者魂‼︎

初めて共演した時のことはうろ覚えだが、お互い、大杉漣さんは転形劇場、僕は状況劇場と、いわゆるアンダーグラウンド演劇の出身で映画デビューした経緯もあったし、舞台も観ていたので、会えばどうしても劇団時代の話になることが多かった。
また、漣さんも僕も音楽好きで、ライブに足を運んでくださったりもした。 以前、吉祥寺音楽祭で「漣&史郎」としてデュオユニットを組み演奏したことも忘れられない。
漣さんが高田渡さんや加川良さんが好きだったこともあり、「生活の柄」や「教訓1」をやったっけな…。
僕んちに来て練習して、まるで高校生の頃のような二人でした。

「テイラーのギター買っちゃった」と、最後に交わした会話も、ギターのことだったので、僕らは俳優同士ではあるけれど、音楽のことで繋がっていたところもありました。

遠藤賢司さんが京都の磔磔でライブをやった時、「大杉漣さんが来てくれたんだよ」と、とても喜んでいらしたのも心に残っています。
漣さんも「すごかった〜‼︎」と興奮してたなあ。

下ネタもかなりのものだったけど、まあ、それはここでは控えます。
それだけ、生命力あふれた人だったということ。
現場でも明るく楽しい人だったけど、とても神経を使っていらしたのも、振り返ると思い出す漣さんの姿です。

もう一度、一緒にライブやりたかったな。
もう一度、がっつりと共演したかったな。
これまでの映画やドラマのなかでは、まだ、僕らはそれぞれ生き続けているし、まあ、これからも、よろしくお願いします‼︎

いったん、お別れするけど、また、是非。

橘井堂