橘井堂 佐野
2020年3月31日

志村けんさんとドリフターズ

新型コロナウイルス感染で、志村けんさんが亡くなられた。
ドラマや映画で共演させていただいたことはないけれど、「天才!志村どうぶつ園」に出演させていただいたことがありました。
ドラマ「正義の味方」の番宣だったかな? 田中好子さんと。
若くして亡くなることもある・・・頭ではわかっていても、今でもどこか実感がありません。
スーちゃんは、棺を送り出すところまでいたのだけれど・・・。
大杉漣さんだって、若松孝二監督だって、原田芳雄さんだって、まだ、いつでも会えるような感覚があります。

志村けんさんは、70年代半ば、最初は荒井注さんに変わって入った、元付き人・・・って感じで、最初はどこか頼りない感じもしていたけれど、あっという間にいかりや長介さんの右腕となり、テレビ画面の中で、ドリフターズの中心人物の一人として畏怖の念を抱いていました。
一度、バカ殿で共演なさっていた柄本明さんの、東京乾電池の公演の時にお見かけしましたが、やはり、近寄りがたい空気が流れていました。
共演なさった方は、みな優しくて気遣いのある方とおっしゃってますから、きっと穏やかな方なのかもしれませんが・・・。
でも、やっぱり怖いな・・・。

ドリフターズは、元々、米軍キャンプで演奏していたバンドマンたちの流れで結成され、ジャズよりはカントリー&ウエスタン、ハワイアンバンドの印象でした。
ビートルズの前座を務めたことでも有名ですよね!?
1967年だったかな?中学生の時、ドリフターズのコントは、それまでのクレイジー・キャッツの洗練されたコントに比べると、ドタバタな印象だったけれど、いかりやさんが逆立ちしたり、体を張ったコントにこれ以上笑えない!!てほど、笑った覚えがあります。
きっと緻密に作っていらしたからこその爆笑のドタバタコントだったのでしょう。

志村けんさんがドリフターズに入る前、テレビ番組でお笑い一切なしでバンド演奏をしたことがありました。
その時の演奏、カントリー・・・というより、ロックな印象で、荒々しくも魂のこもった演奏に魅入ったことをよく覚えています。
志村さんは、テレビ番組でドリフターズの一員として演奏する姿は、記憶にありませんが、近年は津軽三味線の名手として、その腕をご披露なさったりと、やはり、ミュージシャンなのだなあ〜と、コントもバンドも演奏してるんだ・・・と、その気迫に魅きつけられておりました。

志村けんさん、70歳で逝去。
体調を崩されてから、たった10日で旅立たれるとは、誰よりもご本人が思いもしなっかったことだと思います。

新型コロナウイルスの猛威、恐怖は増すばかり。
我が身を振り返り、芸能に携わる者の一人として、悔なく日々を過ごしたいと思います。

志村けんさん、楽しい時間を、本当にありがとうございました。

合掌。

橘井堂