2024年11月21日
谷川俊太郎さんのこと |
開催中の「ボーダレス・アートミュージアム NO-MA20周年企画 vol.2ー限界とあわいー」で、谷川俊太郎さんの詩を朗読したばかりだったので、谷川さんの訃報を受け、私の朗読が、たとえお聞きになることができなかったとしても、果たして、谷川さんに受け止めていただけただろうか?と、不安が過ぎる。
できることは精一杯やったつもりなので、悔いはないが、谷川さんの言葉に対して、私の声が、音が、失礼に当たらなかっただろうかと、怯える。
谷川さんとお会いしたことは、けれど、実はない。
いや、状況劇場時代、山崎哲さんの転位・21の公演の後の宴席などで、お見かけしていたかもしれないけれど、お話を直接伺った記憶はない。
谷川さんの詩を読んだのは高校生の時。いや、中学生か。
現代詩人たちの詩を、「ユリイカ」や「現代詩手帳」、現代詩文庫などで好んで読んでいたけれど、谷川さんの詩は、その中にあって、平易な言葉で、素直に綴られていたので、却って、身構えていたような覚えがある。
むしろ、アメリカの漫画、「ピーナッツ」の翻訳の方で、多くを目にしていたり、何よりもアニメ「鉄腕アトム」の主題歌で、知らず知らずと小学生の頃からその言葉には親しんでいた。
核を保有するロボットが飛び回るヒーローに対して、奥底にどのような思いがおありだったのかも気になる。
繰り返し接していたのはフォークソングだった。
高石ともやさんの「死んだ男の残したものは」や小室等さんの「あげます」「いま 生きているということ」、高田渡さんの「ごあいさつ」。
60年代後半に持ち上がったフォークソングブームの中で、小室等さんの歌う別役実さんの歌詞「雨が空から降れば」や佐藤信さんの歌詞、加藤和彦さんの「日本の幸福」、大ヒットしたカルメン・マキさんの歌う寺山修司さん作詞「時には母のない子のように」など、どうしてアンダーグラウンド演劇の人たちがフォークソングというムーブメントの中で生まれていたのかが、気になっていた。
それは、後に私が状況劇場に入り、劇中歌を作曲していた小室等さんや三上寛さん、友川かずきさんとの交流の中で、言葉が、なによりも肉体と呼応し合うものとして、お互いが溶け合っていたのだと知るのだけれど。
今でも、現代詩を読むが、日々の俳優の仕事とも重なり、素直に言葉が体に入り、出ていくことの難しさを痛感する。
なので、谷川さんのこの詩は、堪える。
もし言葉が
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
一つの小石の沈黙を
忘れている位なら
その沈黙の
友情と敵意とを
慣れた舌で
ごたまぜにする位なら
黙っていた方がいいのだ
一つの言葉の中に
戦いを見ぬ位なら
祭りとそして
死を聞かぬ位なら
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために
歌おうとせぬ位なら
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