2016年7月24日
お詫びと改訂/「東京人」no,374 2016年8月号 特集「1960年代 特撮と東京」への寄稿文について |
今年は12年ぶりの国内版ゴジラ映画の新作「シン・ゴジラ」の公開や、円谷プロのウルトラシリーズ、放映50周年記念などもあり、ゴジラ、特撮映画についての取材や出演番組などが続いています。
昭和シリーズは「ゴジラ対ヘドラ」までしか観ることはなかったけれど、その後のゴジラ特集のオールナイト上映などには20代の頃から頻繁に足を運んでいました。
ミレニアムシリーズあたりからは、ゴジラファンから出演者へと移行したこともあり、劇場へ足を運ばなくともDVDなどで手軽にゴジラを観ることのできる環境ともなりましたし、あらためて何度も見直していました。
関連書籍を読んだり、初期の原作者、香山滋や音楽の伊福部昭のファンだったこともあり、多方面からゴジラに接し直しているうちに、ゴジラが、特撮映画が、自分にとってとても大きいものだと気づかされることともなりました。
だが、想いが強すぎるあまりからだったのか、思い込みによって事実確認が十分になされぬまま、不確実な内容を「東京人」no,374 2016年8月号 特集「1960年代 特撮と東京」に寄稿してしまいました。
よって、刊行された後ではありますが、以下の部分を改訂させていただきたいと思います。
お読みいただいた方々には深くお詫び申し上げると共に、今後、このような、不確実なことをお伝えすることのないよう、自分の仕事に責任を持ってお伝えできるよう、努めてまいりたいと存じます。
【改訂部分】
「東京人」no,374 2016年8月号 特集「1960年代 特撮と東京」
P85 下段 終わりから7行目より最終行まで
「博士の研究室の外観は、古い洋館。
それは、私のデビュー映画、『夢み
るように眠りたい』のラストシーン
を飾る今はなき建築物とも重なり、
私は特撮映画の観客から銀幕の中
を彷徨う身体へと移行しながら、そ
の扉を開けたのだった。」
*是非、「ゴジラ 大人になっても消えない、ゴジラの気配。」と題された全文掲載誌をお読みください。
|
|
|