つかこうへいさんが肺がんでお亡くなりになった。
62歳。
僕はお会いしたことは何度かしかないけれど、振り返れば、つかさんの存在は大きかった。
テレビドラマ版の「銀ちゃんがゆく」で監督を演じさせていただいたり、若松孝二監督の「寝取られ宗介」にも出演させていただいた。
1974年、僕がまだ初舞台を踏む前夜。
劇団仲間の渡辺哲、田代隆秀氏らが加藤健一事務所の「熱海殺人事件」に参加していた。
三浦洋一さん、平田満さんは裏方で照明や音響を担当していたという。
池袋小劇場の小さな空間で、でも、エネルギーに満ち満ちていた。
当時、そんな小劇場がたくさんあったと振り返るセンチメンタルな心情は年を経て来たせいだろうか・・・?
東京乾電池や東京ボードビルショー、そして文学座のアトリエ公演の勢いたるやすさまじいものだったと記憶する。
つかさんの芝居のことは、僕は正直言うと、決して好きなわけじゃなかった。
上等な舞台に見えていたのかもしれないし、それに対する嫉妬もあっただろう。
それでも、よく観に行っていた。
芝居仲間や先輩たちのなかにいるのが心地よかっただけだったのかもしれない。
けれど、うずまく芝居への情熱の傍にいて自分が何をやりたいのかははっきりしていった。
そうして僕は、唐十郎の門戸を叩いた。
その後は、ほぼ時期を同じくして渡辺えり子さんや野田秀樹さん、そしてその次の世代へその次へと受け継がれ、今に至っている。
僕はあいかわらず芝居の世界でははぐれたままではあるけれど・・・。
つかさんの存在が大きかったことは確かだ。
ありがとうございました。
やすらかにおやすみください。
合掌。 |