| 写真はずっと好きでした。 高校時代から、アッジェやら木村伊兵衛、桑原甲子雄らの写真集を手にしては、友人たちと語り合ったものでした。
 しかし、写真部に在籍するようなこともなく、ミノルタの1眼レフを手にしても、技術的なことはまったく理解しておりませんでした。
 ただ、父が昔から写真好きで、6X6の2眼レフに手製の葉書フィルターを噛ませては、そのオリジナルのシネスコサイズの写真を、自分で現像焼き増して自慢しているのを子供の頃から傍で見てはおりました。
 幼かった私は、その作業に見とれて、時には押し入れを暗室にした現像所に、父と一緒にこもって現像タンクの取っ手を回していたりもしました。
 あの、現像液の匂い…。
 そんな写真にまつわる記憶は鮮烈です。
 その父も昨年他界し、故郷の松江の、父の書斎の棚には、自慢だった2眼レフが転がっております。
 おまけに母方の叔父の代から開業した出雲大社の写真館の、二代目の従兄も急逝してしまいました。
 我が初映画監督作品の主人公でさえ、写真館の主としたほど影響を受けた、写真館での叔父や従兄の佇まい…。
 私の細胞のなかに、かすかに宿っている、そんな写真への愛情を、発表させていただける場を与えていただき、感じ入っております。
 しかも、今回発表させていただく写真は、結果的に父の追悼ともなった、ミャンマーでの旅の記録です。NHKのハイビジョンスペシャル番組で、『煙はるかに』という、世界中で、現役で活躍している蒸気機関車を紹介するレポーターを務めさせていただきました。私はそこで、ミャンマーを担当したという次第です。
 父は機関車も好きでした。
 どちらも機械仕掛けの神…いや、ホトケ様…ですか…。
 私が撮った写真を番組中に使いたいというディレクターの意向から、手に入れたばかりのフォクトレンダーを携え、旅しました。
 言わば、私にとって、始めての写真の仕事です。
 結果的には、亡くなった、父や従兄の供養ともなりました。
 どうやら、写真そのものが、私を導いているようです。
 想いの外、奇抜なものが少なく、なんとも凡庸な眼差しではありますが、そんな自分にも気付かされ、私にとっても写真の旅は始まったばかりです。
 是非、これからも、お付き合いくださいますよう。
 ★エプソンのHP
 
 平成13年6月11日佐野 史郎
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