映画監督デビュー『カラオケ』
1998/5/1
ついに来た映画監督デビューですが、まずは、監督までのいきさつからいっ
ときましょうか。
去年TBSドラマの「青い鳥」を上諏訪で撮ってたんだけど、豊川くんほど出番が多いわけではなかったから、けっこうプラプラしてたんだよね。
蕎麦屋では食べ、カラオケ・スナックでは歌いというやつだね。
そう、そう、そう。いまも行ってきたところなんだけどね。(笑)
一昨年出版した小説の『ふたりだけの秘密』を演出家の竹内銃一郎氏が映画化すればいいんじゃないか、その時はオレが書くよって言ってくれたこともあって、映画化が無意識のうちにあったんだな。
もし映画化するんだったら、地元の松江でやるのは恥ずかしいから、写真館、踏切、列車、お城、古い神社がある同じ湖畔の大津かなとか思ってたんだけど、諏訪湖畔の上諏訪は条件にピッタリだったんだよね。やっぱり、宍道湖畔にある故郷の松江に似てるんだよ。結局、プラプラしながらロケハンしてたんだな。でも「青い鳥」の時は、なんかいいなーぐらいだった。
じゃあ、それが具体的になりはじめたのは?
「青い鳥」で室蘭だったか支笏湖に行ったときに、ロケバスの中でプロデュ―サーの貴島(誠一郎)さんから「監督をやらないか」と言われたんだよね。佐野を監督として使えば俳優としてのギャランティもグロスで浮くというようなこともあったんじゃないかな。(笑)
いまや、そんなに高いギャラの俳優になってたのね。恐ろしや。(笑)
『ふたりだけの秘密』を書いているときは、カット割りみたいにシーンを思い浮かベながら書いてたのかな?
タイムスリップの曲や詞でもそうだけど、まず画像があってそれを歌詞にしてるね。やっぱりもとに絵があるんだね。小説もそうで、筑摩書房の編集者の青木さんにも最初はシナリオの形で作品を提出してたし…。
会話の部分は上手に書けてると思ったけれども、それも台本的ではあるよね。
それで、昨年末に製作費も集まりそうだということになって、何をやりたいかという具体的な話しになったんだな。それで、趣味の吸血鬼ものもやりたかったんだけど、ちょうど中学校の同級生が亡くなって、松江に帰ったときに中学の同窓会をひらいたんだよ。『ふたりだけの秘密』のモデルになった人も来てたし、二次会でカラオケに行ってなんかいい感じだったんだよ。それで、貴島さんとやるんならこれかなと思ったんじゃないかな。しかし、友人の死によって映画が生まれるなんて皮肉だよな……。
竹内さんにはどういう風にオファーしたの?
貴島さんと竹内さんと三人で飲みながらだったんだけど、同窓会とはどんなものかと話したんだな。たとえば有名人が高校のクラスから出て、以前はそんなに仲がよかったわけじゃない人たちがあつまるっていうのは面白いんだろうけど非常にテレビドラマ的だよね。つまりシチュエーションコメディーになりやすいと。でも、もちろん人によって違うだろうけど、中学校の同窓会はノリが違ったんだな。ひねくれてないんだ。かけひきがないんだよ。というか、かけひきを必要としない人たちが集まっていたんだよ。
それで、台本も竹内さんにお願いしたわけだ。
まずボクが原案を出して、竹内さんも『ふたりだけの秘密』の映画化が頭にあったから、そうしたエピソードも入ったものが出てきたんだよ。それをベースにして、貴島さんと三人で3ケ月かけて5校まで練って作っていったわけ。普通は発注して、それに監督が手を入れるぐらいだけど、監督、脚本、プロデュースがひざをつきあわせての作業は昔の松竹・大船の撮影所のやりかたに近いのかもしれない。
三人で詰めていくところで議題にのぼったのはどんなところ?
貴島さんはTVのノウハウから来るエンタテインメント性を考えるから、観客をつかむかというタイミングなら、早めにおいしいことをもってくるよね。舞台はそうじゃないし、みんな自分のタイム感覚が違うからね。だからぶつかりもしたけど、竹内さんが最後に「それは、好みの問題でしょう」と言って、さすがの貴島さんも一目おいた感じだったね。オレもオレで自分の世界に持って行こうとするし、みんなたいへんだな。(笑)
でも、監督を頂点としたピラミッド型じゃなくて、ネットワーク型の作り方ができてるんじゃないかな。
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