映画『カラオケ』監督日誌1 ![]() 1998/5/11 この日の朝に大泉滉さんが亡くなった新聞記事を読んで驚いた。ロケがはじまるので 、すぐに花を送って上諏訪に向かったんだ。ところが、マネージャーのキカワがドラマ「青い鳥」で何度も行っているにもかかわらず、また道を間違えた。(笑)そしたら、大泉滉さんのお斎場のすぐそばまで来てたんだ。あれは呼ばれてたね。初主演作品の『夢みるように眠りたい』でご一緒させてもらった大泉さんだから、因縁は感じるよね。あいかわらず、ドラマはこんなところから始ってるわけだ。 それで、上諏訪に入って、メイン・スタッフで諏訪大社に行ってお祓いをしてもらったんだけど 、ロケハンでは行くたびに雨が降ってたのに、お祓いをしてもらった直後から一週間晴れたから、運で生きている佐野の面目躍如だよね。(笑) そして、まだ決まっていなかった、少年が「唾くれ男」に追いかけられるロケーション場所を決定し、一週間分のカット割りの打ち合わせをしたんだ。僕のカット割りだと600カット以上あるので、プロデューサーに考え直してくれと言われてたんだけど、知らないものの強みで、やってみなけりゃ分からないということにしてしまった。 初監督ということで取材が来てて、大泉さんの話をしたりした後に、「緊張するでしょ」と言われたんだけど、台本作りからカット割りからでてんてこ舞いだったから、不安とか緊張する間もなかったし、はじめてのことだから何が何だか分からないからね。 この日は居酒屋で馬刺を食べて初日に備えました。
◆1998年4月26日
取材番組が入ってて、やっぱりファースト・カットの「はい、本番。よーい、スタート」っていう声とか撮りたがるじゃない。でも、それを狙われてる方としては恥ずかしいし、もうVTRの素材撮りとかはしていたから、気合が入ってる風にはならなかったんだ。ところが、最初はすかしてたのに、だんだんガッツが入っていくわけだよ。( 笑)エキストラに芝居をつけるのに、走って行ったりしてたら、「助監督がやりますか ら」と言われたけど、自分でやらずにはいられないんだね。もうエンジンは全開なんだ。 午前中は少年(坪田翔太)の後を追う玉袋(筋太郎)さんのシーンを撮った。 今回は造り酒屋の女主人役で柴田理恵さんにも出てもらってるんだけど、彼女の旦那さんは状況劇場の後輩でいっしょにやってた仲間だから昔からよく知ってるし、信頼感はあるよね。普段は役者同士の付き合いだから、いざ監督として「ここはこうしてくれ」と言うのは最初は照れがあってやりにくかったんだけど、でも、ちゃんと監督として接してくれるんだ。当たり前のことかもしれないけれど、嬉しいものだぜ。彼女の旦那役が同じワハハ本舗の佐藤正宏さんで、息のあったところをみせてくれそう……。日没後にこの日の予定を終了。
◆1998年4月27日
少年役の坪田翔太くんは要チェックでしょう。オーディションで決めたんだけど、一人だけクサくない芝居をしてたからね。ジャニーズ系ではないけどアイドルっぽい魅力もあるし、かわった子で面白いよ。なにしろ何かやりたいという欲のかけらもないからね。常盤貴子ちゃんと同じ事務所なんだけど、事務所のひともエキストラに毛の生えた位の役だと思っていたらしく、「あの子は芝居できませんから」といって、オーディションに受かったのに、喜ばないで困ってるんだ。そこがいいのにね。
◆1998年4月28日
今日は織本順吉さん、段田さん、真希、坪田くん、鈴木未彩ちゃんの児玉写真館の家族の撮影。この日に(石川)真希が来たんだけど、もちろん女優さんだから今回は「石川さん」って感じだよね。向こうも、いっしょにやってるバンドだと「おい、佐野」って感じなのに、同じようにものを作ってる場なのに違ってたね。 段田さんも真希もオレの演出意図を明確に理解してるし、段田さんはとにかく上手い! 舌を巻 く上手さよ。オレは好きだよ。ベースがナチュラルだからね。オレは人はみんな変だということがベースだから、よく役が被ってるように言われるけど、全然違うよね。 真希と段田さん、織本さんの写真館の店先のシーンでは、本当は4カットぐらい考えてたんだけど、鏡の写り込みを利用して撮ることで1カットで抑えたり、お芝居に関するシーンはカット数が少なくなる傾向があるね。
◆1998年4月29日
◆1998年4月30日 |
ハートウォーミング佐野の監督日誌2 ![]() 1998/5/17 この日撮ったのは、少年(坪田翔太)を玉袋(筋太郎)さんが自転車に乗って追いかけてくるシーンだね。それで、追い詰められたところで「唾をくれ」って言われるんだよ。そこに、手のアップと列車の音とカメラのシャッター音とかがからんでいくんだ。それで、玉(袋筋太郎)さんがその唾を飲むんだけど、良かったよー、いつもの浅草キッドの顔ではないね。「唾をくれ」っていう言い方とか、けっこう細かく修正しながら演ってもらったけど、いい顔してたなー。ベンガルもこの役を「いい役だなー。オレがやりたいなー」っ言ってたぐらいだもんね。 こういうシーンになると、オレにとってはナチュラルなことでも、助監督やカメラマンには分からないことがあるみたいだね。こういう構図にしてくれっていう時に、リアリズムの時は問題ないんだけど、フェティッシュに走ったりするとちょっと手間取ったね。初日、二日目ぐらいはわからない部分もたくさんあったんだけど、一週間たってきて、明確に「こうです」って言えるようになってきたね。 この日は電車入れ込みの、これが撮りたいっていうシーンがあったんだ。陽も落ちてきてこれを逃すともうないという時だったから「オイ、行くぞ!」みたいなノリになって、これがまた絶妙のタイミングであずさ2号が入ってきて、シーンが終わって「カッート!」って言った瞬間には、ほとんどノリノリのニール・ヤング状態だったよ。(笑)ものすごく熱くなって「イエイ!」「OK!」とか言ってるわけよ。(笑)情念の監督だね。さすがに唐十郎、遠藤賢司の弟子だと思い知らされたよ。(笑) この日は夕方一回風呂に入って、ヌード劇場の脇を段田(安則)さんと黒田(福美)さんが自転車で二人乗りしてるシーンをワンカットだけ撮って終わりました。早く終わったのでそのあと玉袋さんと連絡をとりあって「信玄屋敷」に行って呑みました。
◆1998年5月2日
島崎さんとは冬彦×アダモちゃん対談だったね。「ひょうきん族」でカツラを被ったら、たけしさんに「お前、それじゃあポリネシアン・ダンサーだよ」って言われて、翌週にはアダモちゃんやることになってたらしいね。それで、テストなしで急にやれって言われて、追い詰められて心臓バクバクで出て行ったら「やめてくれー」という気持ちが「テッテ、テッテ、テー、ペイ!」みたいになったらしいんだよね。(笑)それは冬彦といっしょだねーって話しをしてた。(笑)ロケ地だから通行人もいるのに、島崎さんは生アダモちゃんを見せてくれるし、白熱して冬彦の「ウー」とかやったりして、プロデューサーの貴島(誠一郎)さんがVTRを回しとけばよかったって言ってた。(笑) 天気が下り坂という話しだったから心配してたんだけど、なんとか一日もちました。夜、蕎麦を食べに行ったころからパラパラきたのかな。その後、居酒屋「さわだ」でビール飲んで早く寝ました。
◆1998年5月3日
◆1998年5月4日
◆1998年5月5日
(石川)真希も諏訪の時より力が抜けてたし、織本(順吉)さんも、その演技に対する情熱にうたれました。わりとスムーズにいったんだけど、でも、24時までかかったんで、この日は鶴川のホテルに泊まりました。
◆1998年5月6日
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ハートウォーミング佐野の監督日誌3 ![]() 1998/6/2
◆1998年5月8日
◆1998年5月9日
◆1998年5月10日
ラッシュを観終わって、緑山スタジオに移動して、11日、12日に撮影する「湖月」という割烹のシーンのカット割りの打ち合わせをしました。
◆1998年5月11日
◆1998年5月12日
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ハートウォーミング佐野の監督日誌4 ![]() 1998/6/12 これが最後の諏訪ロケです。でも、9時45分出発だから、けっこうゆっくり出たね。少年(坪田翔太)と「唾くれ男」(玉袋筋太郎)の追っかけのシーンの撮り残しを撮りました。車輪があってペダルが漕がれていて、そのフレームの中に後ろから車輪がインしてくるというのは、映画を撮るんなら絶対撮りたいと思ってたシーンだったんだよね。これは20歳ぐらいから思ってる原風景だったから、今までも他の現場のスタッフに、どうすると撮れるか聞いたりしてたんだよね。 今日で玉袋さんはアップだったんだけど、充実した顔をしてたよね。うれしかったな。それから、諏訪湖畔で野口さんと伊藤(正之)氏の環境問題を語るシーンを撮りました。夜は同窓会の7人が外で歩くところの撮影なんだけど、全体を撮りたいしカットバックをやりたかったんで、けっこう苦労したね。26時とか27時までかかったね。この日はさすがにオレも夕飯の時にはバッタリ寝ちゃったもんね。だから「さわだ」にも「恵」にも行けず、ロビーでビールを飲んで寝ました。
◆1998年5月14日
◆1998年5月15日
◆1998年5月16日
◆1998年5月17日
◆1998年5月18日
◆1998年5月19日
圧巻は、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」をみんなで唄うところだよね。それをワンカットでいこうというのが大変だったよ。「これ、ワンカットでいきたいな」ってポロっと言った途端に、全部署がガーっと動きだしたから「あちゃ」っと思ったんだけど、結局それで6時間かかりましたよ。ワンカット撮るだけだったんだけどね。全員で壁をはずしたり取付けたりしながらのクレーン撮影だったからね。制作部までマイク持ったりしてたよ。その後に、「戦争は知らない」の幻想シーンをやはりクレーンで撮ったから、朝4時半までかかったね。俳優部のみんなはほんとにカラオケ屋で朝まで明かしちゃったみたいだったって言ってた……。感無量!
◆1998年5月20日
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