雑記帳 二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇十四年長月二十三日

松江でのギリシャ凱旋公演、小泉八雲・朗読の夕べ「望郷:失われることのない永遠の魂の故郷」も大いに盛り上がったが、こしがや能楽堂での公演はまた格別だった。 相方のギター、山本恭司が30年来の越谷市の住人だということもあり、能楽堂での公演が叶った。
決して熱心な能楽ファンというわけではないが、演出をあれこれ加えていくのではなく、観客の創造力を溢れさせるその空間への捉え方に、一俳優としてずっと惹かれてきた。
田中千世子監督の「能楽師 伝承」 「浪漫者たち」などにも参加させていただいたことで関根祥六、故・関根祥人という優れた能楽師から直接お話をうかがう機会も得、舞台のみならず、映画やドラマの現場でも世阿弥が伝えた花伝書などが指針となることが多い。
まさか、その能舞台に立てる日が来ようとは夢にも想っていなかった。
今回の「望郷」のツアーは、尾道、神戸、焼津、富山、東京・・・と廻るが、富山での公演も能楽堂だ。
ただ、富山は屋内。こしがや能楽堂は野外にしつらえられた古来からの流れを汲むもの。
ギリシャ、レフカダ島での公演も海辺の野外ステージだったが、屋内の安定した環境と異なるからか、こちらの身体の状態も風に舞うようにさらに周りの気配に音にゆだねるようになる気がする。
野外は天候に左右されるのでリスクはあるが、虚構の世界にすんなりと運んでいってくれるように感じる。
紅テントで芝居をやってきた者としては、この風さらいの空気には胸を締めつけられる想いがよぎりもする。
花伝書に「五十有余 この比よりは 大方 せぬならでは 手立あるまじ」とあるように、五十歳を過ぎたら「何もせぬ」以外に手立はない・・・とあるが、「初心忘るべからず」「離見の見」「静中動、動中静」・・・などの言葉と共に、発する言葉を自分で聞きながら、「やりすぎていないか」といつもにも増して己の状態を探っていたかもしれない。
けれど、だからといって冷めすぎているわけでもなく、能楽堂の空気に導かれて幽玄の時を過ごしていたように想い返される。
お客様も、そんな能楽堂の空気を堪能するかのようにして、とても集中して聴いてくださっていた。
松江での公演は本編に加えて「耳なし芳一」を演ったが、この日は小品「葬られた秘密」を。
箪笥に隠されていた付け届けの恋文が気になり成仏出来ない女の幽霊の物語り。可愛らしくて健気な物語りが能楽堂にピッタリ合っていたような気がする。
さて、次は「望郷」ではないが、奥出雲、雲南市で「神話:古事記に導かれ訪れた地で出会った神々」を演る。 一昨年に古事記編纂1300年記念として上演したもの。小泉八雲が出雲大社に参詣した時の様子を混じえながら、山陰の怪談や古事記の国譲り神話、龍蛇神にまつわる怪談などを。

こしがや能楽堂の打ち上げで祝杯をあげながら、来年の構想をツアーでは講演を行ってくださっている小泉凡さん、そして奥様の祥子さんらと語らう・・・。
ギリシャで生まれた小泉八雲=ラフカディオ・ハーンは、2歳で父の故郷アイルランドに移り、青年になってアメリカ、カリブはマルティニーク島・・・と彷徨うが、ギリシャ公演の次は・・・と夢を。

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★こしがや能楽堂、鏡の間に控える。(C)森島興一

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★橋掛かりを渡って、この世とあの世を行き来する。


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★能楽堂でやるならば、やはり着物!!

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★照明もまったく変化させず、ただひたすらに物語りに集中!!お客様も真剣。

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能楽堂に隣接する日本庭園。

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★ドラマ「おそろし」にも登場した曼珠沙華がここにも…怪談つながり?

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橘井堂二〇十四年長月十八日

舞台の公演を終え、LIVEにも参加した。
9月6日、新宿の、昔あったルイードっていうライブハウスのオーナーさんが新しく開いたオトナ向けの箱。
で、こけら落としのシリーズで「大人音楽Nights と題し、まるで70年代のフォークジャンボリーのようなメンバー+若手で。
佐野も、この中では若手!!^^"
遠藤賢司、斉藤哲夫、中川五郎、三上寛、りりィ+洋士、中山ラビ・・・若手はtamamix、tomoe&直。
佐野はエマーソン北村と二人で「君が好きだよ」「クスンと、カメラ」「セントラルアパート」の3曲を。
誰一人同じような表現をする人がいなかったのが印象的でした。
特に百戦錬磨の先輩方は、ジャンルでもくくられない、その人だけの世界!!
終わって、新宿の池林房でエンケンたちと久しぶりに四方山話をば。
芝居の感想を聞かせてもらったり・・・。

舞台「安部公房の冒険」の評判は概ね良かったし、急遽立ち上げた企画で宣伝も行き届かなかった割りにはお客さんもなんとか格好がつくほどには入ってくださった。
それでもね、前にも記した「何故、舞台に立ち、何故、俳優を続けるのか?」「何故、演劇をやるのか?」「何故、表現をするのか?」という志をみんなとひとつにするのは本当に難しいことだと痛感させられた。
そりゃそうだ、どんなに親しくとも、家族や親友であろうとも、どう生きるかがまったく同じなんてことはないだろう。
みな、どこかで折り合いをつけている。
よく言えば、協力しあって生きている。
自分の心と身体に正直に問いかけてみる。
「それが、本当にやりたいことなのか?」と。
出した答えに対しても、同様に問い続けるので、この身体と意識がなくなるまで、終わることのない問答が続くだろう。
ただ、いつも、どんな現場にいても、恩師たちの眼差しは意識する。
「それでいいのか?」と。
唐十郎、山崎哲、遠藤賢司、四谷シモン・・・。
一刀両断にされるであろうと意識する。
それでも、自分で決断した仕事に対して向かいあう。
それが、自分のやりたいことなのだ。
言い訳はできない。
唐さんは、まあ、言われなくても伝わる、ビシビシと。
正直に、叱咤激励してくれる先輩や友人、家族たちがいることが、僕の一番のたからもの。
だから容赦なく批評してくれる山崎哲さんの言葉も心底嬉しい!!
エンケンやシモンさん、哲さんのように正直に話してくれる人達の存在のなんと大きいことか!!
古くからの友人たち、バンド仲間、写真、家族・・・みなそれぞれが己と向きあい葛藤しながらも探りながら生きているように思われる。
撮影現場の旧知のスタッフやキャストのみなさんとも、いちいち説明はしなくとも、その姿勢が伝わる。
そうでない時は、こちらもどう接して良いかわからなくなるので問いかけてみる。
それにしても何故、安部公房を演じたのか?・・・彼の芸術論、表現論は正しくとも殊に演劇そのものに関しては共感する所が決して多くはなかっただけに、自分の演劇に対する姿勢をも問われた形で、己を糾弾する眼差しも自分の中で膨らみ、なんともくすぶる心持ちが残った。
演出の荒戸源次郎さん、脚本の松枝佳紀さんに対して、共演者のみなさんに対し、俳優として不純な姿勢ではなかったかと振り返る。
全身全霊でやりとおしたと、己の俳優としての姿勢を目をそらさずに問い返し、終えたことに悔いはないけれど。

ギリシャの凱旋公演と銘打って故郷、松江での「小泉八雲・朗読の夕べ『望郷』」 も大盛況のうちに終えることができた。
これまでのお寺での公演と違って、今回はクラシック音楽用に設計されたプラバホール。
600人近いお客様たちに埋め尽くされた客席が舞台上から目に入る。
松江市の主宰の元、小泉凡さんの講演、奥さんの小泉祥子さんのプロデュース、演出効果のアイデアを次々と提供してくれた錦織伸行さん、そして、もちろん相方の級友、音楽・ギターの山本恭司、ここ数年、このメンバーを中心に一座の結束は深まってきていることは間違いない。
回を重ねるうちに、演出や表現も膨らんで来ていて、それはそれで多くのお客様に伝わりやすく、楽しんでいただけていると実感する。
けれど、手探りで模索していたこの表現形態の最初の不安定さ、わからなさを決して失ってはならないと自戒する。
さて、これからどうなっていくか・・・何故、小泉八雲なのか・・・それは子が親を選べないようなものなのかもしれない。
21日のこしがや能楽堂での公演は、またひとつ違ったものになるだろうし、世阿弥ならぬ「初心忘るべからず」を意識しての公演となることは間違いないだろう。

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★松江、プラバホールでの小泉八雲・朗読の夕べ「望郷」のステージ。これはサプライズでお届けした「耳なし芳一」のカット。 本編でのバックのスクリーンを上げ、パイプオルガンがライトアップされた。

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★この日は別の松江市の企画で取材中の怪談蒐集家、松江を「怪談のふるさと」と命名した木原浩勝さんと「鷹の爪」のFROGMANこと 小野亮さんにもご覧いただけた。前列は右から小泉凡さん、山本恭司、佐野。


原宿のフジフイルム直営店 WONDER PHOTO SHOPで、我らが「りす写友会」のメンバーであり、芥川賞作家の柴崎友香さんとの対談も楽しかった。
お互いの作品を見せあいっこして、ああだこうだ・・・と。
柴崎さんはパノラマ写真を縦構図、横構図と、世界をひとりじめにしたいかのような欲望のかたまりを見せつけてくれた。
一方、僕は最近のスナップショットから、ギリシャ、秋田の写真を。
お互い表現者、観察の眼差しが一致する所。
お互いの写真の向こうの意識の分析合戦とあいなり、多くの発見があった。
僕は他にも先輩俳優の方々や仲間、若松孝二監督の撮影現場スナップなど秘蔵写真も特別公開!!
柴崎さんと僕のお気に入りの一枚をプリントしてもらい、交換しあうという嬉しいプレゼントも。
柴崎さんは公園の桜の木々の下に集う人達のパノラマ写真を、僕は昔、新宿のナジャで一緒に飲んでいた時に撮った柴崎さんのスナップを。
・・・はたして30名程のお客様は楽しんでいただけたかどうか?
まあ、お客様も、相当の写真好きが集まっていらしたようだったので、その眼差しにも支えられて盛り上がったかな?
”「生と死」を超えた眼差しを通してファインダー越しに見えるもの”とでもいうお話は表現論であったかもしれない。
久しぶりに藤本智士編集長を筆頭にして「りす写友会』の多くのメンバーも集結!!
柴崎さんの芥川賞受賞のお祝いにと、みんなで久しぶりに食事をしながらワイワイ語り合った。
丁度、青山でメンバーの船寄剛さんの写真展「のぼる」をやっていたこともあり、その感想もひきがねとなって、また写友会で写真展を!!と誓いあった。

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★久しぶりに集まった「りす写友会」の面々。

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★柴崎さんにプレゼントした写真。後ろの若松孝二監督の連合赤軍のポスターが彩りを添えている!

そしてそして、翌日はNHKの生放送「スタジオパークからこんにちは」に出演。
伊藤雄彦アナと竹下景子さんの司会で、NHK BSプレミアムで放送中の「おそろし 三島屋変調百物語」や小泉八雲の朗読LIVE、ギリシャでの公演のお話など。
ギリシャ、レフカダでの公演の様子は密着ドキュメンタリー番組を10月に放送予定の山陰放送からお借りし、松江の宍道湖の夕陽にそっくりなレフカダの海の夕陽もご紹介させていただいた。
ビデオレターでは荒俣宏さんが登場し、なんとも幻想怪奇一色の番組とあいなり、とても楽しかった。
しかも、終わってから白石加代子さんの朗読舞台「百物語」を観に行ったので、怪談奇譚のこの流れは、もうとどまることを知らないようだ。
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橘井堂二〇十四年長月十日

新国立劇場小劇場、劇団アロッタファジャイナ公演「安部公房の冒険」の千秋楽から10日が過ぎた。
すぐに音楽番組の収録があったり、LIVEがあったり、次のドラマの衣装あわせやら打ち合わせやら、日々は何かしら次の準備へと追われているのに、なかなか舞台での緊張が身体から抜けないでいるようだ。
それだけ密度の濃い時間だったのだろう。
連続ドラマや映画の地方ロケで稽古時間が少なかったところに向けての出演は、覚悟していたこととはいえ正直言って怖かった。
膨大な台詞を前にして、なかなか掴めない空間のなかにいて、途方に暮れそうになりもしたが、へなちょこな自分にも意地というものがあるらしい。
荒戸源次郎さんの演出と、松枝佳紀さんの脚本になんとか応えるべく、それでも、やれることはやったと自負したい。
けれど、どんな舞台裏があろうと、お客様に楽しんでいただけないことには話にならない。
そこに対しては、お客様の厳しいまなざしを、何よりも大切にしたい。
出演依頼をお受けした時、舞台上で物語りを生きることに対する神経が薄れてしまいそうになる時に、どうしても「オシバイ」をして乗り切ろうとする自分の卑しさが憎くて、舞台への出演には慎重になってきた私なので、一旦は躊躇したのだが、松枝さんの芝居に対する意気込みと、荒戸さんの状況に対する追い込み方に身を預けようと覚悟した。
稽古初日に共演者や荒戸さんたちに、「思ってることはすべて言う」と宣言し、共演者たちには「何故、舞台に立つのか?何故、俳優の仕事を続けるのか?ということに向きあう」ことを共有したいと申し出た。
そのことは千秋楽までくり返し、合間合間に確認しあってきたつもりだったが、はたしてどうだったか?

短い稽古期間・・・といったが、実はこれまでも何度か経験している。
いや、喜劇の舞台などわずかな稽古だというし、伝統芸能などは申し合わせのみで本番を迎えるともいう。
それに比べれば、ありあまるほどの時間があったではないか!?
これまでにも唐十郎、作・演出の一人芝居「マラカス」は10日ほどで1時間40分の舞台を作り上げたし、山崎哲、作・演出「春」では、相手役の方が稽古初日に入院し、稽古場での稽古は実質3日しかなかったという恐ろしい経験もした。
最近では、三宅裕司さんのNHK BSの「コントの劇場」。1時間番組、4〜5本のコントを公開収録で上演するのだが、リハーサルは1日。収録当日もカメリハを1回やるだけで本番という緊張感。もちろんやり直しなどない。
おそらく、そんな経験が身体に残っていて、今回の舞台にも立とうと決意したのかもしれない。

で、今回、やはり「オシバイ」をしてしまう自分と向きあわざるをえなかった。
ただ、今回は、「オシバイ」に逃げ込んだというよりは「オシバイ」に飛び込んだ意識的なものだった。
他に手がなかったか、今でも悔やむ気持ちがないではないが、これが己の俳優としての事実と受け止めよう。
・・・そう、テレビドラマなどでは積極的にやっている。
もちろん、作品や監督によって異なるが。
若松孝二監督や林海象監督との作業など、映画の現場では、ただただ、その場に、共演者に身を預けようと「オシバイ」を封じ、神経を張り巡らせる。
蜘蛛の糸や、忍者の水蜘蛛のように。
・・・ならば「オシバイ」とはなんぞや?ということになるのだが、これはそれぞれの演じ手の方によって捉え方は異なるかもしれないので、この俳優の”カンジ”から察していただくしかない。

舞台を終えたばかりなのに舞台を観に行った。
竹内結子さんや、40年前からのおつきあいの小林勝也さんも出演なさっていたこともあり、渋谷、パルコ劇場、三谷幸喜、作・演出「君となら」を。
斉藤由貴さん主演の19年前の初演も観ているが、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
お客さんが求めているものに120%お応えする、まさにプロ!!の舞台。
初舞台という竹内結子さん、まだ彼女が10代、暗い高校生役のドラマでご一緒してから何度も共演させていただいているのだが、ベテラン女優となった今もその初々しさが損なわれることがなく、かつ全力で空間に向って行く姿に終始微笑みっ放しだった。
もちろん場内は爆笑の渦!!
パンフレットのなかにあった言葉。
「よくわからないものとか、泥臭いものであるとか、ドロドロしたものであるとか…、ブラックなもののほうが、ちょっと格上で高尚というイメージが、どうしても世間一般や、ものを作る人たちの中にはあるんですよね」
いやいや、シチュエーションは、その辺の深刻な舞台より、よっぽどこれでもかってくらいドロドロしていてブラックで、泥臭く、よくわからないんだけど、でも、満席のお客様を笑いの渦に巻き込む。深刻にはさせない。
三宅裕司さんの熱海五郎一座を観たときもそう。
僕は大衆演劇も好きで、あの迷いのなさ、ひたむきさに打たれる!!
唐さんの状況劇場を初めて観た時もそうだった。「風の又三郎」・・・あんなに笑って、あんなに泣いて・・・。
でも、敷居が高く感じられるかもしれない能楽の舞台にも痺れるような快感を感じるし。

結局、「何故、舞台に立ち、何故、俳優を続け、表現と向きあい続けるのか?」という覚悟の問題なのだろう。
喜劇であろうと、底なし沼の様に暗く深刻であろうと、「自分」と「他者」との関係を、どう切り結ぶか?ということなのだろう。
どちらが高尚で、どちらが大衆的だから良いのだと決めつけてしまうのは怖い。
いろんな世界があって良い。
けれど、己の身に危機感を覚えさせるようなものには警戒したい。
だが、そのものとも、どう共存すれば良いかと探るべきなのか?
まあ、なんにせよ、舞台に立つと色々と想うものだ。
俳優の道を歩みはじめて40年、もがき続けることだけは確かなようだ。

さて、ギリシャで行った小泉八雲の朗読LIVE「望郷」も松江を皮切りに各地で開催。
この舞台ひとつひとつの音と言葉が、また、自分に覚悟を強いる。

まあ、ヘラヘラもしてますがね^^"

*すみません、舞台中、楽屋暖簾しか写真を撮っておらず、共演者や稽古場の写真が一枚もない・・・という。
 それだけ余裕がなかったということかな?
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橘井堂二〇十四年長月三日

舞台「安部公房の冒険」を終え、虚脱状態。
6日のLIVE、トークイベント、小泉八雲の朗読、スペシャルドラマ、ラジオ・・・休む暇はないけれど、違うことを色々やってると仕事を通してそれぞれに発見があるし、新鮮。
芝居のことは、またゆっくり。
観劇いただいたみなさまには、本当に感謝!!です。
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