雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇十九年如月二十八日

1月クールの連続ドラマ「家売るオンナの逆襲」第4話のゲストでは元NGT48の北原里英さんと親子役で共演させていただきましたが(huluでご覧いただけます)、連ドラのゲストは物語を運ぶ役どころを仰せつかることもあり、責任重大!!です。
で、その後のドラマの撮影もクランクアップ!!
詳しい情報はまだ解禁できませんが、またまた悪役!!楽しかったです。^^
「一年のうち8割は悪役!!」という俳優人生ですが、まあ、好きなんでしょうな・・・。
昨年やった「世にも奇妙な物語」のようなハートウォーミングでも、幻想怪奇の世界が好きですし、「限界団地」は、この国の歴史や社会的背景がしっかりと意識された上でのホラーテイスト&サスペンスでしたから、そりゃ、のめり込んでしまいました。
よく言う話ですが、50歳を過ぎたあたりから、小泉八雲の朗読を続けていることで、出雲ゆかりの古事記を入り口にして、古代史から近現代史に至るまでに興味を持つようになりました。
そうしたことが、ドラマや映画の現場でも、そりゃ、基本的にこの国の物語を生きるわけですから、演じる上でも役立つことが少なくありません。

で、2月は恒例の銀座ヤマハスタジオでの「小泉八雲 朗読のしらべ『産土(うぶすな)』」と、神戸、湊川神社の能楽堂「神能殿」での第二回清明の会「八雲彷徨」を上演。
異なる二作品でしたが、続けての上演日程だったこともあり、13年目となるこのプロジェクトで、また新たな発見がありました。 続けてはみるものだなあ〜と。
「産土」は、演目の中の「かけひき」では東映時代劇調に、日本おとぎ話集に収録されている「団子をなくしたおばあさん」では、鬼やお地蔵さん、おばあさんとのやりとりをコミカルに、言ってしまえば、大芝居をわざとしてみたりする一方、「浦島太郎」では、小学生の教科書の音読のようにできたらと、なるべく素読みを心がけました。
「八雲彷徨」は、松江や山陰の怪談や紀行文を中心に編んだ作品なのですが、結果的に、松江への観光を促すような朗読となったかもしれません。
実際、「松江に行ってみたくなった」と言う感想もたくさんいただきましたし。
松江を訪れたことのある方なら、また、行ってみたくなるかもです。
この作品でも、「鳥取の布団の話」や「むじな」のように、自分自身の感情が動くような読み方になってしまうものもありましたが、基本的には素読みを心がけました。
能楽堂での上演ということもあり、謡曲の「杜若」が登場する「小豆とぎ橋」では、実際に能楽師の山中雅志(まさゆき)さんに橋掛りに登場して謡っていただきましたので、その臨場感たるや、こちらも演じるどころではなく、「杜若」の世界にどっぷり浸ってしまいました。
しかも、いつものように小泉凡さんの講演、解説の後に「杜若」の謡曲を丸々ひとつ山中先生に実際に謡って頂いてからの「小豆とぎ橋」でしたので、お客様にも「杜若」がどのような世界なのか、じっくりと味わっていただけたようでした。
そして、山本恭司の演奏も冴え渡り、あらゆる音をギター一本で操り、和の空間の能楽堂に、不思議と馴染むエレキギターだったのでした。ホント、キョージは凄い!!
彼なしでは成立しないこの「朗読のしらべ」であることを、今回も深く思わされました。
能楽堂でのPAシステムは、客席の場所によっては音響が響きすぎるようなところもあり、まだまだ改善しなければならないこともありますが、毎回毎回、新鮮に取り組むことができる「小泉八雲 朗読のしらべ」ですので、これからも続けられるだけ、続けて参りたいと思います。
今年はアメリカツアーもありますし、新しい構成シナリオ、書かなきゃ!!!

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★「産土」エンディング。銀座ヤマハスタジオにて。小泉八雲に見守られながら。 ©️森島興一


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★素読みと言いながら、力んどりますな^^”©️森島興一


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★途中、たっぷりとキョージの楽曲を楽しんでいただけるコーナーも♪©️森島興一


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★神戸、湊川神社。楠公さんで親しまれる楠木正成ゆかりの神社です。


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★湊川神社、神能殿。満員のお客様に感謝!!


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★能楽堂での公演の時は和装で。


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★凡さんも和装で講演。


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★山中雅志さんの謡「杜若」が始まるところ。

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橘井堂二〇十九年如月十四日

2月11日のNHK FM、生放送「今日は一日”松本隆ソング”三昧」、楽しかった〜🎶
前回のユーミン三昧に続いてのお招きだったので、ちょいと出しゃばり過ぎかな〜とも思ったのですが、松本隆さんご本人も出演なさり、鈴木茂さんもご登場とあらば、馳せ参じなければ!!と、渋谷NHKの505スタジオへ。
このスタジオは、NHKの中川緑アナとNHK BSでやってた音楽番組や、ゴジラのドキュメンタリー番組「音で怪獣を描いた男〜ゴジラvs伊福部昭〜」などで何度もお邪魔しているスタジオ。
フルオーケストラの演奏ができるスタジオで、ゴジラの番組では東京フィルの演奏するゴジラのテーマの冒頭部分の指揮を取らせていただいたことも忘れられない特別なスタジオ。
大瀧詠一さんの「アメリカンポップス伝」の収録を見学させていただいたのもこのスタジオでした。 松本隆さんや加藤和彦さんのラジオ番組にも、このスタジオにゲストでお招きいただいたこと、思い出しました。

司会の上柳昌彦さんはニッポン放送のアナウンサーさんでしたし、定年なさったとはいえ、ニッポン放送が基地。
12時15分からスタートした放送でしたが、僕は4時半で吉田照美さんにバトンタッチ!!
もちろん吉田照美さんは文化放送で永年レギュラー番組を務めていらっしゃいます。
局を超えさせるのも松本さんのお力!!??
NHKのアナウンサーさんは中條誠子さんお一人という、堅苦しさの全くない良い意味でNHKらしくない番組???でした。
いやいや、9時間生放送で、松本隆さんの曲しかかけない・・・って、民放じゃ、なかなかできないかな?

寺尾聡さんの「ルビーの指環」のリクエストからスタート。
まずは僕と中川翔子さんとでお話ししながら・・・。
そして2時から松本隆さん登場!!
2 時半には鈴木茂さん登場・・・で、もちろん「はっぴいえんど」をたっぷりと。
個人的にも京都にお住いの松本さんとは、京都で撮影があるときには一緒に食事をしたりする間柄。 もう20年のおつきあいになります。
茂さんとは、今、"SKYE meets Shiro Sano”でレコーディング中ですし、これまで何度もライブでご一緒させていただいております。
はっぴいえんどのステージも観ていますし、思いの丈を吐き出しました!!
スタジオには、何故かドラムセットとギターアンプがセットされており、ならば・・・と急遽、アコギも用意していただきました。
松本さんは頑なにドラムを叩くことを拒まれたので、茂さんと「12月の雨の日」のイントロを弾けば・・・と演奏を始めたのですが、それでも・・・ダメでした。
残念!!
はっぴいえんどより前のエイプリルフール時代の松本さんの処女作といっても良い「暗い日曜日」は流せませんでしたが、「12月の雨の日」「春よ来い」「風をあつめて」、そして「風をあつめて」の原曲だったレア音源「手紙」もご紹介。
そしてそして、中川翔子さんの「綺麗・ア・ラ・モード」も、もちろん!!
安田成美さんの「風の谷のナウシカ」や、成美ちゃんも歌った2015年に東京フォーラムで開催された「風街レジェンド」のコンサートの時のことなども振り返りながら、いよいよ松田聖子さんコーナーに突入するや、ショコタン炸裂!!
松本=大瀧コンビの「風立ちぬ」や、松本=細野コンビの「ガラスの林檎」など、はっぴいえんどの時から、実は何も変わらずに、愛する世界を紡ぎ続けてきた松本隆さんだったのでした。

僕は4時半で退席しましたが、最後まで最高の松本隆三昧!!だったのでした。
僕はその足で羽田へ!!
「第22回しまねの農村景観フォトコンテスト」の審査で、松江へ。
審査員として参加させていただいてから、今年で3年目。
初期の3回は植田正治さんが審査委員長だったそうですし、責任重大。
富士フイルムの五万人のフォトコンテストの審査員も続けさせていただいておりますし、自分なりに、心動かされる写真というものの基準があるような気はしていますが、それが何かと問われれば、一言で表すのは難しい。
ただ、「素直であること」は、自分への戒めも含めて基準の中にあるのかもしれません。
発表はまだもう少し先なので、詳しくはお話できませんが、無邪気な笑顔に弱いワタクシなのでした。
きっと、汚れて垢のついた、自分の心と照らし合わせているのかもしれません。

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★何故かセッティングされていたドラムセット!!


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★フェンダーツインリヴァーブ、NHKにはビンテージの機材がいっぱい!!??


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★僕のマイクの前。1972年に出版された松本隆さんの散文詩集「風のくわるてつと」はバイブルです。


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★まだ、曲になっていない詩もあるんですよね〜。


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★初めてお会いしたときにいただいたサイン。あれから20年!!!!!!!


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★松本さんはドラムセットを背に。そしてファイヤーバードを奏でる茂さん。
はっぴいえんどだあ〜🎶


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★ドラムセットに座る松本さん、叩かなかったけど、キックだけ踏んでくれました^^


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★みんなで記念写真。

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橘井堂二〇十九年如月十日

「古代歴史文化賞」の記念シンポジウムに参加させていただきました。
当日は雪予報だったので、案じておりましたが、雪は少し降ったものの、都心では積もるほどではありませんでしたので、無事、開催。
中止になるかもしれないな〜と思っていたので、まずは一安心。
「古代歴史文化賞」は、2013年に古代歴史に関する書籍を表彰するために、島根県、奈良県、三重県、和歌山県、宮崎県が連携して立ち上げた賞。
今年で6回目。
古代神話のことを想うと、新潟県、福岡県も是非、加わっていただきたいのですが、いかがでしょう?

2018年度の大賞は、犬飼隆さんの「儀式でうたうやまと歌 木簡に書き琴を奏でる」
基調講演をお聞きしましたが、万葉集にまつわるエピソードや、どのようにして七五調がこの国に定着していったのか・・・など、興味深いお話、とても勉強になりました。

僕は、ずっと続けている小泉八雲の朗読を。
とはいえ、いつもやっている山本恭司のギターとのコラボではなく、小泉八雲〜ラフカディオ・ハーンが来日し、最初に英語教師として赴任した、わが故郷、島根県松江市から、出雲大社を訪ね、本殿に西洋人として初めて昇殿したときのことを綴った作品「杵築(きづき)」を、解説を交えながら朗読。
「杵築」は「知られぬ日本の面影」の中の「神々の国の首都」に収録されている作品。
明治23年(1890)の出雲地方の空気が、生き生きと描写されています。
と同時に、この年は明治憲法~大日本帝国憲法が施行された年でもあり、江戸から明治へと推移した、過度期の日本の揺らぎも見て取れます。
明治新政府に至る人々によって繰り広げられていた廃仏毀釈、神社合祀、現在に繋がる日本古代史に対する視点の変化。
そんな中、古代から受け継がれてきた出雲の八百万の神々への想い。
古代から受け継がれてきた出雲国造(こくそう)という存在へのハーンの想い。

予定時間を少しばかりオーバーしてしまいましたが、1時間ほどの間、みなさま熱心に聞いてくださいました。
古代歴史文化のシンポジウムに参加させていただき、大変光栄でした。

実は、この「杵築」の朗読シナリオ、「小泉八雲 朗読のしらべ」で上演した「神話」の土台になったもの。
エンターテイメント作品とするには、ちょいと固すぎる・・・ということでボツになったシナリオでしたが、これはこれで、古代出雲神話にご興味のある方には楽しんでいただけるかと。
いや、何も知らなくても、明治時代、西洋人が出雲大社を訪れ、どのように感じ、どのような光景が、あの時代に流れていたか・・・ということを感じていただくだけでも面白いかと。

これはこれで、もっともっとたくさんの方に聞いていただきたいと思ったのでした。
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橘井堂二〇十九年如月四日

ただいま、レコーディング中。
2014年にリリースしたゼラチンシルバー・ミュージック・クラブ・バンド名義のアルバム「ニュープリント」から5年。
メンバーのベーシスト、橋本潤が亡くなってしまい、ドラムのGRACE、キーボードのエマーソン北村とも相談しながら、キセルの辻村友晴さんに手伝ってもらったり、ベースレスで演奏したり・・・。
でも、結局、活動停止状態になってしまいました。

2015年に、ゲージツ家のクマさんこと篠原勝之さんが短編小説集「骨風」で泉鏡花賞を受賞なさり、授賞式にお招きいただいたのですが、お祝いにと、かつてクマさんがポスターを手がけていた状況劇場ゆかりの人たちが集結いたしました。 その授賞式の二次会で、小原礼さんと奥田民生さんとバッタリお会いしたのです。
奥田民生さんのツアーの打ち上げで、そのお店にいらしてたのですが、小原礼さんと久しぶりにお会いして、その時は、礼さんは、多分、社交辞令だったと思うのですが、ベースの橋本潤が他界してしまったことを告げると、「何かあったら声かけてよ」とおっしゃってくださったのでした。
それからしばらく経って、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」からライブのオファーがあった時、金沢での言葉を思い出し、真っ先にベースの小原礼さんに相談したのです。
礼さんは、「じゃ、ドラムは林立夫、ギターは鈴木茂で」と、自動的に(?)メンバーが、大御所たちに決まったのでした。
礼さん、茂さん、立夫さんの三人は高校時代にカバーバンドをやっていたのですが、そのバンド名がSKYE!! 伝説のバンドを復活させようとSKYE名義でのライブ
2017年、2018年と2年続けて、このメンバーでライブをやったのですが、おかげさまで大好評でした。
そこで、「レコーディングしませんか?」との流れに。
流れというものは、なかなか予見できません。

ゼラチン〜のバンドは、2006年にリリースした「Sanch」や、2001年の「佐野史郎とライスカレー」のアルバムからずっと一緒にやってきたドラムのGRACEありきだったし、キーボードのエマーソン北村氏に至っては、1986年のタイムスリップの1stアルバムからのおつきあい。
彼らと離れるのに、複雑な想いがなくはなかったのですが、新たなページを開くことに。
SKYEの皆さんとの音作りは、期せずして、はっぴいえんどやミカバンドが影響を受けた60年代後半のウエストコーストサウンドやグラムロック以前の、エルビスやエディ・コクラン、リトル・リチャードを再解釈したイギリスのロックシーン〜アニマルズ、ビートルズ、ストーンズ・・・に戻っての音作り・・・となっているかもしれません。
もちろん、日本のロックを開拓したご本家の皆さんへの想いも、僕自身は強く込めて。

ロックンロールを聴き始めた小学五年生、1965年頃に、SKYEの皆さんは中学生だったけど、すでにみなさんバンドを始めていたそう!!
その頃に聴いていたロックンロールや60’sの音は、今となっては同時代の空気や音を知っているので、余計な説明は一切必要ないのでした。

音作りの作業と、ドラマや映画、舞台を作る作業は、僕の中では変わることなく、いや、むしろ、音楽が好きだからこそ、俳優の現場で、そのことが活かされ、また、活かさなければ・・・と強く思っています。
度々言っていることですが、能や歌舞伎、神楽〜歌舞音曲は古来より、音と言葉と身体と、分けられるものではありませんしね!?

まだまだ作業は続きますが、ミニアルバム、お楽しみに!!

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★SKYE meets Shiro Sano/左から林立夫dr. 佐野史郎vo,g 小原礼b 鈴木茂g

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