雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘 
井堂二〇十二年卯月二十一日

ドラマ『未来日記』の放送も始まり、撮影も順調に進んでいる。
その他にもスペシャルドラマ等の出演が続いていて、ここのところ撮影や準備に追われている。
『未来日記』はネタバレするといけないので、多くは語れないのですが、今日、プロデューサーの方と現場でお話してたら、かなり深い話ができ、有意義な時間が持てた。
演じる瞬間瞬間は、もちろん、あれこれ考えながらやってるわけではないのですが、現場に入るまでのシナリオの読み方や、ドラマのストーリーの奥に秘められている世界観をどう捉えるかで、演技はまったく変わってしまう。

スマートフォンの未来を告げるアプリを廻る物語りは、現実と虚構を入れ子構造にして、テレビモニターの前にいる視聴者と作り手をも転倒させてしまうかもしれない・・・などと想いを廻らせ始めたら、もう止まらない!!!

深遠な世界観に挑戦するチームのなかにいて、深夜ドラマだからこそできることもあり、まだまだ面白いことはできそうだ!と、ドラマの現場に向かうのです 。
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橘 
井堂二〇十二年卯月十三日

4月12日、代官山の蔦屋書店のラウンジ"Anjin"での、松本隆さんとのトークイベントに呼んでいただいた。
"TSUTAYA"の通常のレンタルも、行っているのだが、映画やドラマの品揃えが充実していて、書店も興味を惹かれるようなレイアウトがしてあって、本好き、映画好きにはヤバい空間だ。
そんな居心地の良い場所での松本隆さんとのトーク。
「MUSEUM OF MODERN MUSIC」という、1960年代からの日本のロック、ポップス、フォークなどをアーカイブして後世に伝えていこうというプロジェクトの一貫として、「Music × Words」として開催された。
松本さんの「風街」の世界でいえば、ここは「風街さろん」といったところ。

松本さんは古事記の世界を口語体の詩にして発表なさった横笛奏者の藤舎貴生(とうしゃ きしょう)さんの構成、作曲による『幸魂 奇魂』(さきみたま くしみたま)により、はっぴいえんどで「日本語のロック」を完成させた感性と変わらぬまま、現代口語の日本語を伝統的な邦楽の音と声でもって成立させた。 出雲神話とはっぴいえんどを同じ次元で感じ、結びつけるのは出雲の地、松江出身の私としては、我田引水の感もあるが、自分の言葉と音は、血となり肉となるための水や空気、土地、食べ物、音、そしてそれらを共有する人々によって育まれてきているのだから、あの15歳の秋に松江で「はっぴいえんど」を聴き、衝撃を受けたことは必然だったと振り返る。

幼い頃に熱中した書物・・・江戸川乱歩、宮澤賢治・・・そして、中原中也、ボードレール、現代詩の渡辺武信・・・松本さんを培って来たものは何かを訊きまくり、ファン冥利に尽きる100分のトークだった。
もちろん、ロックから歌謡曲に至る経緯の具体的な話や、松田聖子、ジャニーズの作品、大瀧詠一、細野晴臣、筒美京平、松任谷由実・・・作曲家たちとの作業の過程・・・貴重な話をたくさん聴かせていただいた。

はっぴいえんど時代のギリギリの裏話も・・・まあ、ご愛嬌・・・????
けれど、一番響いたのは、私が常日頃、俳優として、もどかしくのたうちまわっている「言葉を音にする」作業のこと。
「意味」と「音質」のどちらかに重きを置かず、同時に発すること。
そのことはいつも気をつけているつもりだし、表現者としては当たり前のことだと思うのだが、あらためて感じたのは、「漢字」と「ひらがな」のこと。
「漢字」は意味情報で、「ひらがな」は音情報・・・だと、どこかで刷り込まれたまま身体の中で自家中毒になっていたのかもしれないと気づかせていただきました。
文字情報も、一度、「口伝」に戻せば、文字の形態の違いなど気にしている時間はないはず。
それでも、その文字の形態が一度身体を通り抜ける作業は身体に染み入れば心地よい。
なにも大げさなことではないのですが、どんな形態であれ、字体であれ、「言葉」を発する時点で、「音」は「音」。
言葉にできない「意味」もそこには含まれているだろうし、分け隔てずに、丸ごと感じ、発することで、その感性を持ち続けていることができれば、必ず伝わるはずだと信じたいと思わされました。
じゃなきゃ、続けていけません。

松本さんの決して主観を押しつけようとはせず、丁寧に世界を言葉でもって紡ぎ上げ、歌詞の世界に現われて来る、散文詩や小説の中に現われて来る人たちや風景・・・必ず映像が浮かんで来るけれど、でも、映像を拠り所にはしていない。
聴こえて来る音と響き、匂いなどを頼りに、世界を彷徨い続けているのだな・・・?と思いました。
「見ること」「見られること」はプレイヤーとしては逃れられないことだけれど、「言葉」を、匂いや響き、気配でもってそこから開放され、「音」にしたいと思うのでした。

また、グダグダと綴ってしまった・・・。

終わって、遅くまで代官山の松本さん行きつけのレストランでゆっくり食事をしながら、観客のいないトークイベントは続いたのでした。
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橘 
井堂二〇十二年卯月七日

BS11の某トーク番組の収録で、久しぶりに吉田照美さんと蛭子能収さんとお会いした。
蛭子さんとは東京乾電池のお芝居に出演なさっていた頃からのおつきあいだが、そんなにちゃんとお話しさせていただいたことはない。
今回は、漫画雑誌「ガロ」、つげ義春・・・などがキーワードとなり共通するサブカルチャーの匂い満載のトークとなった。
三人とも監督も手がけており、吉田照美さんは「バネ式」、僕は「カラオケ」、蛭子さんは「諫山節考」と発表している。
照美さんの「バネ式」は、その名の通り、つげ義春さんへのオマージュで綴られている。
蛭子さんの「諫山節考」は、本当に素晴らしい作品で、蛭子さんの漫画そのままを実写化した世界観だが、何度観ても、僕は涙をうるませてしまう。
・・・いや、本当にそうなのだが、そういうと、「?」という反応をされてしまう。
何とも言えない無常観が全編に漂い、小津安二郎監督作品を観た後のような読後感がある。
・・・まあ、これ以上力説してもしようがないので、このあたりにしておきますが、蛭子さんはスゴイのだ。

昨年夏、舞台「おもいのまま」の巡業先の長崎で「えびすリアリズム」が開催中だったので観ることができたが、その才能には圧倒された。
同展覧会が、この度、伊豆でも開かれるそうなので、これは見逃せない!!
「天城ミュージアム」で4月14日から7月1日まで開催される「えびすリアリズム」
オススメいたします!!!
アンディ・ウォーホル、岡本太郎と並ぶ才能だと思うのだが・・・あまり強く皆に同意を求めすぎるのはやめておこう。

ところで、ながく寒い日が続いていたが、ようやく桜もほころんで、春がやってきた。
・・・とはいえ、花冷えが続いているけれど・・・。
お花見には出かけたりはしないけれど、お隣の桜を借景に一杯やるのは、なかなかいいものだ。
・・・いつもスミマセン!!

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★ベランダのライトでライトアップ!

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★満月に桜・・・日本に生まれて良かった・・・。大げさですが。w

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