雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇十七年水無月二十五日

岡山、倉敷を舞台とした刑事ドラマの撮影を終え、一息。
翌日、野際陽子さんの御霊前に手を合わせ、ドラマの家族たちと野際ママを偲んだ。
けれど、まだ、実感がない・・・。
これまで、様々な出会いに恵まれてきたけれど、野際さんたちとのドラマの時間は、振り返れば、やはりかけがえのないものだ。
真っ只中にいるときは、まるで当たり前のように過ごしていたけれど、僕らはなんと幸せな時間を共にしていたことか・・・。
野際さんとの会話の中で、戦時中、疎開先の石川県でのことや、戦争について時折お話なさっていたのが強く心に残っている。
明るく、奔放な役柄を楽しそうに演じていた姿がまぶたの裏に蘇るけれど、腹の奥底に秘めた非戦の想い・・・その「覚悟」や「信念」があったればこその、あの演技だったのだろうと腑に落ちた。
決して自分を強く前に出し、主張をすることはなかったけれど、いつも、どこか、控えめな眼差しから覗ける観察の眼差しが印象的だった。
アナウンサーがスタート地点だったから・・・というのは、あまりにも短絡的かもしれないけれど、人の話に耳を傾け、相手を受け止め、その真意を引き出し、場に返す・・・。
そして、みんなと共有する・・・演技においても、プライベートでお会いする時にも、そんな、クールさが好きでした。

この日、野際さんの姿はなかったけれど、みんなと過ごした野際さんを想う時間の中で、確かに野際さんの存在を感じられたし、虚実を超えた、「家族」の空気が確かに流れていたのでした。

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★野際さんを偲び、TBSテレビ「新・情報7daysニュースキャスター」の取材をお受けしました。



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★出会った時から変わらずに、本当に綺麗な方だったなあ〜T T



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★野際さんを偲んで、ドラマの家族でテーブルを囲みました。
後楽園飯店の名物、シメはフカヒレ入り汁そば。
なんでも、長嶋茂雄さんの発案(!?)だとか。


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橘井堂二〇十七年水無月十四日

刑事ドラマの撮影で岡山ロケに行っておりました。
倉敷は、観光地のど真ん中、美観地区での撮影でしたので、観光客の皆様にはご迷惑をおかけしてしまったかもしれませんが、天候にも恵まれ、無事に撮影を終えることができました。
感謝、感謝!!!です。
私は途中、空き時間もあったのでカメラ片手にぶらり観光もしちゃいました。^^” 落ち着いた、美味しいコーヒー屋さんでゆったり
とした時間を味わったり、倉敷名物のクッキー屋さんでお土産買ったり・・・。 まだ、共演者など公表できませんが、旧知の俳優仲間や初共演の女優さんたちと撮影後、岡山の美味しいものをいただいたりと、充実の吉備でした。
中でも、岡山から山間に入った備中高梁(たかはし)の美しい街並みには癒されました。
備中松山城にも登りましたが、標高430メートルの、日本一高い場所にあるお城だそうで、自然の石垣を利用した造りは迫力ありました。
何しろ高台にあるので、車で行けるのは途中まで。
あとはひたすら足を使って、急な石段を登るのみ!!!
けっこうキツイ!!!
案の定、後日、筋肉痛に。^^”
いや、備中松山城・・・命名も四国との交通を残しているように想われ、古の人々の息遣いまで聞こえてきそうでした。

実は、この備中高梁、今年、松江城で撮影した錦織良成監督「質実剛健」で忠義の尼子の武士、山中鹿之助がその首を毛利の家臣に取られた処と聞き、思わず鳥肌が。
私は松江城を築城した堀尾吉晴を演じておりましたが「我に七難八苦を与えよ」と困難を乗り切る鹿之助の忠義の魂を讃える役所だったこともあり、見えざる何かの力を感じないわけにはいきませんでした。
これが、歴史物の時代劇やドキュメンタリー番組ならば、そのような共時性があっても、さほど感じなかったかもしれませんが、たまたま訪れたサスペンスドラマの撮影だったことに、ちょいと不思議な感覚を覚えましたです。

備中高梁・・・松江に帰るとき、ほとんど羽田から出雲空港を使うのですが、それでも京都などで撮影していて松江に入るときなどは新幹線、岡山乗り換え、伯備線で米子へ出て山陰本線で松江へ。
東京〜松江は、かつては東海道本線〜山陰本線のブルトレ寝台列車「出雲号」。現在は夜行ならば新幹線〜伯備線〜山陰本線の寝台特急「サンライズ出雲」、日中は「特急やくも」を利用します。
これまで幾度となく通ってきた伯備線の備中高梁に人生初めて訪れ、なんとも感慨深かったです。
岡山〜倉敷〜総社〜備中高梁〜新見〜伯耆大山〜米子・・・吉備路は尾道〜宍道、松江の出雲路と共に瀬戸内へと通じる神々の道でもありますし、陸路での山間のかつての宿場の賑わいも想わせてくれ、センチメンタルな気持ちになりました。
また行きたいな。

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★備中高梁の街中に通る川の水の清らかなこと!!



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★古い町並みは、生活感が残されているので、テーマパークのような町並みとは違い、本当に落ち着いています。



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★高梁川。落ち着くなあ〜。



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★プラリと入ったお蕎麦屋さん。


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★鴨せいろ。手打ちのお蕎麦の美味しいこと!!山菜の天ぷら付き。ビールももちろん!!


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★備中松山城。


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★天然の石垣を利用した無骨な姿も美しい!!


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★こちらは倉敷、美観地区。


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★なぜか加計学園の名が冠してある美術館が・・・月曜休館、残念!!!


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★美味しい珈琲屋さんでした。


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★チーズケーキも美味しかった〜🎶


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★このビスケットもやみつき!!


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★アイビースクエアでも撮影^^

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