雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十五年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇一〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇二二年霜月二十二日

先週末、姪の結婚式で松江に帰っておりました。
みんな仕事があるし、なかなか家族三人揃って帰る機会がないのですが、久しぶりに実家も賑やかでした。
妹夫婦と夕食を共にしたり。

式は、出雲大社、北島国造家にて。
明治以降は、北島国造家は宗教法人「出雲教」として出雲の神々の信仰を広めていらっしゃいます。 出雲大社は江戸時代までは杵築(きづき)大社と云われておりました。
北島家と千家家の両家が交代で宮司を務めていらっしゃいましたが、明治以降は、千家家がその職を受け継いでおられます。
とはいえ、神社本庁のことはそれとして、地元では古来、永く両家は敬われてまいりました。
小泉八雲の「日本の面影」の「杵築」を読むと、明治の頃の空気、その存在がありありと描かれているので、ご興味のある方は、ぜひ、ご一読を!! 遡れば、北島、千家と別れたのは南北朝の頃からのようで、それより以前は、出雲氏はひとつでした。
全国各地の国造(こくそう〜クニノミヤツコ)たちがそれぞれのクニを治めていたのでしょうね。
大和朝廷がこの列島をひとつにと収めるようになってからは、国造という職も消えていったようですが、出雲だけは残ってきたのです。
日本書紀や古事記が編纂されたという西暦700年代、各地に遣わされた国庁の役人たちが記録した風土記にしても、出雲だけは、国の使いではなく、地元の出雲国造が20年の時をかけて編んだので「出雲国風土記」だけは、ほぼ完全な形で残されてきたようですし、古代より変わらぬ空気が、出雲には確かに受け継がれてきているようです。

いかんいかん、歴史オタな訳じゃないけれど、つい郷土愛が燃えてしまう^^”

で、数年前、NHKの番組「ファミリーヒストリー」でも、北島家とはゆかりがあることが判明致しましたし、母の実家が出雲の大社町の写真館「独立軒」なので、物心ついた時から、北島家にはご挨拶に行っておりました。
あ、姪っ子の結婚式の写真も、もちろん独立軒で!!(思いっきり身内の宣伝!!^^")
僕らが結婚式を挙げたのも北島国造館。
あれから36年が経ちましたが、出雲大社の変わらぬ気配、佇まい。
同じ場所で姪が結婚式を挙げ、その時間を味わっていると、時というものは、あらためて過ぎてゆくものではなく、風のように行き来するものなのだなあ〜という感覚も襲ってくるのでした。

雨予報もなんのその、晴天に恵まれ、しかもこの日は、出雲では神在月、全国よりお集まりになっていた八百万の神々がお帰りになる、「神来去出(からさで)さん」の日。〜〜〜その言い方、恥ずかしながら知らなかったのですが^^”
荒神(こうじん)荒れと言って、神々がお発ちになる日は天気が荒れると古来言われてきたそうですのに、姪っ子夫婦は幸せだなあ^^
パワーあるなあ〜〜〜〜〜!!
出雲大社からお発ちの時にお寄りなさるのが、同じく出雲の「万九千神社(まんくせじんじゃ、まんくせんじんじゃ、まくせのやしろ)」、この頃は、ネットの情報で広まったのか、かつてのパワースポットブームの流れからか、以前だったら、観光客が立ち寄らないような、地元の人しか知られていなかったようなお社にも参拝の列ができていたりするので、ビックリ!!です。
出雲大社本殿の裏手の摂社、素鵞社(そがのやしろ〜大社の地を治めた蘇我家?御祭神はスサノヲノミコトだから、素戔嗚って蘇我家のことなのかな?と思いを巡らせるのもまた楽し。元々の土着神〜大国主を配下に収めるために、神話では後から来たスサノヲが祖先ということにしたのか????まあ、それにしても三代続いたら江戸っ子じゃないけれど、出雲って定義はおおらかで良いのだと私は思う)なんて、長蛇の列!!
みんなご利益をいただきたい、切実な世の中ということなのかもしれませんね〜〜〜。
いや、大病から生還した私にしても、病室の枕元の出雲大社のお札のおかげ!!!!!!です。
ちゃんとお礼参りができました。
旧暦、神在月、出雲大社のある島根半島西の神戸(かんど)郡の反対、東の意宇(おう)郡にも八百万の神々をお迎えする佐太神社http://sadajinjya.jp の神迎祭がありますし、お忌祭りとして神様がいらっしゃる間はみな黙して大人しくするとか・・・古代より出雲に伝わる神事の向こうには確かな歴史が息づいているのでしょうね。

結婚式の後、披露宴は同じく北島国造館敷地内にある亀山会館にて。
お料理も美味しく、本当に、晴れやかで楽しい良い式でした。
式場から宴会場まで移動しないで済むので、楽ちんでしたしw
帰りは、一畑電車で松江まで帰るのもいいかな〜〜〜と思ってたけど、JR出雲市駅から山陰本線の各駅停車で乃木駅まで。
実家は松江駅の隣の乃木駅(初の女性駅長誕生の駅)の方が近いのです。
ちなみに、乃木駅から出雲市駅寄りひとつ手前が玉造温泉
神代の時代からの歴史ある温泉地です。
ここのところ、よく鉄道に乗るなあ^^”

久しぶりに家族三人で、高校時代から通っている喫茶MGへ。
先月も「小泉八雲・朗読のしらべ」で帰っていた時にも寄ったのですが、落ち着く〜〜〜。
ちょうど「タイムスリップ」のアナログ盤が届いたところだったので、家族三人で試聴。
今は違うバンドだけど、カミさんの石川真希と当時のレコーディングのことを思い返しておりました。
娘は両親が自分の歳くらいの時にやってたバンドの音をどう思ったんだろ?
「ネオGSだね」なんて言ってたけど、アシッドフォーク&ロックかなあ?
娘もガレッジ系のバンドやってるし、馴染みはあるんだろうな。
お店のあっちゃんも気に入ってくれてよかった〜〜〜〜MGで聴くと、音が良いんだよね〜〜〜🎶

お昼はMGの隣の「上田そば」で割ごそばを。
いつもMGでカツ丼食べちゃうんだけど、美味しいと評判の上田そば、噂に違わず!!でした。
観光客で混んでたけど、街のフツーのお蕎麦屋さんなんだけどね、良いところ、確かに多くの方に足を運んでいただきたいです。

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★出雲大社本殿より東側が北島家です。


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★北島国造家、お庭も美しく・・・。


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★お庭には滝も流れています。


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★池には鯉が。


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★出雲大社本殿、裏手より。


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★出雲大社本殿、美しいなあ〜〜〜。


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★山陰本線、各駅停車、乃木駅着。キハ47形かな?


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★蒸気機関車が走っていたのも、つい先日のようなのに・・・。駅の雰囲気はそんなに変わらず。


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★寂しい〜〜〜〜でも、いい感じ〜〜〜〜!!


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★1970年から通って52年!!


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★MGの店内も、ず〜〜と変わりません。マキが、「松江って、必ず、このチョコが置いてあるよね?」と。 どうなんだろ?ゴマドレッシングは必ず食卓にあるけど^^"


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★出雲そばは割ごそばが定番。薬味を入れて、タレをかけます。美味いっ!!お酒のコップが映り込んでる^^"/昔の看板かな?店先に置いてあるのもイイ感じ^^

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橘井堂二〇二二年霜月六日

フジテレビ、水曜ドラマ「親愛なる僕へ殺意をこめて」第5話、まあ、覚悟はしていたけど、30年ぶりに「ママ〜」ってセリフ言ったんで、どんな反応があるか、ちょいと気になってはおりましたが、Twitterでトレンド入りしてるって聞いて、ありがたいやら、なんとも言えない気持ちでおりました^^"
30年経ち、この歳になって、まだサイコパスなドラマやってるって、当時は考えもしなかったけど、ここまで来たら、どこまでやれるか、挑戦です!!!
東海テレビの土曜ドラマ「最高のオバハン 中島ハルコ2」も、中盤になっても、なんだか思わせぶりで、最後のところにチョロっと出てくるだけですが、そろそろハルコとの直接対決も近いか!!?? 側近の者どもが、どいつもこいつも、みな、使えないんで、流石にそろそろ腰を上げるか〜〜〜てな展開かな? どちらのドラマも、後半、大きく展開していくので、お楽しみに!!

さて、放送はありつつも、先月末は、「小泉八雲 朗読のしらべ へるん先生傑作選」で、佐賀の嬉野と、島根の松江へ。
なにしろ、コロナや闘病で、ステージに立つのは1年半ぶり。
1時間以上に及ぶ朗読を、演劇ではないとはいえ、果たして本当に務め果たせるのか、内心、不安を感じてもおりました。

とはいえ、始まると、何事もなかったかのように、全てを忘れて、ステージに集中してしまうので、かえって声を出し続けている間の方が体が楽に感じられたほどでした。
相方のギターの山本恭司は、嬉野ではライブをやったことがあるので、ホール(嬉野リバティ)の感じや、スタッフの皆さんとも打ち解けて、和気藹々とした和やかなムードでお迎えいただけました。
市の職員の方が、大のロックファンで、一緒にお食事している間も、マニアックな話で盛り上がりました!!
ご自身もバンドをなさっていらっしゃるようなので、朗読のライブではありますが、バンドのように楽しんでいただけたようで、嬉しかったです。
初めて朗読ライブを聴いたお客様がほとんどだったと思う嬉野でしたが、皆さん楽しんでいただけたようでした。
ひとつステージをこなせたことで、自信にもなりました。
九州在住の高校の同級生や、状況劇場時代の劇団仲間も観に来てくれて、もう、それはそれは嬉しくて・・・!!!!!

松江の公演も、久しぶりに観てくださる方々の、待っていてくださった感じがじわりと伝わり、これまた嬉しく。
上定松江市長もいらしてくださり(松江南高校の後輩)、アフタートークも盛り上がりました🎵
市長は、NY公演の時にも、その時はまだ市長になっていらっしゃらなかったですが、ご覧いただいておりました。
市長は、高校時代に聖飢魔IIのカバーバンドをやっていらしたそうで、ここにもまた、ロック魂宿る町づくりが!!??
先に行われた、ギターウルフ(g&voのセイジ氏も南高の後輩)主催の「シマネジェットフェス」にも、飛び入りでギターウルフに加わり、革ジャン着てギター弾いていらしたようで!!
そういや、去年映画祭でお邪魔した時の大西市長も、元、プロのミュージシャンだったなあ〜〜〜熊本にも小泉八雲は勤務しておりましたし、ロックと小泉八雲の親和性は高い!!??
松江は地元のNHK松江のニュース番組「しまねっとNEWS610」に生出演したり、山陰放送の番組の収録もあったり、新聞の取材もあったりと、あわただしかったですが、久しぶりに故郷を満喫いたしました。

今回の公演で感じたこと。
小泉八雲の死生観に共感することは多いのですが、実際に「死」というものと向き合うこととなってから、その言葉も内容も、よりリアリティを持って感じられるようになったような気がしなくもありません。
まあ、それが伝わらないことにはしようがないのですが・・・^^”
特に今回、「耳なし芳一」を読んでいて、強くそう思いました。
生きていても死んでいても、現実であれ、想像のあの世であれ、天国や地獄であれ、今生きているからこそ、「生」も「死」も感じられるのだと。
もちろん、死んでみなきゃわからないでしょうし、わかったとしても、この体はないのですから、当然感じ方は肉体を持つ人間の感じ方とは違うでしょう。
そのことが、はっきりと腑に落ちて、なんとなく想像であの世やら、亡霊やらを語るのとは違った感覚が、今回はありました。

ところで、嬉野公演を無事に終え、宿に帰ったところ、事務所から急な仕事のスケジュールが入っておりました。
映画の出演依頼だったのですが、ロケ場所が、下関。
そう、「耳なし法一」の舞台です。
しかも役所は、下関のローカル番組、ラジオドラマの声優役。
演目は・・・「耳なし芳一」!!!

なんでも、当初、出演予定だった俳優さんが、急に出演できなくなったとのことで、代役としてお声がけ頂いたのでした。 何があったんだ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!?????
ですが!!!・・・スタッフの方々は、僕が小泉八雲の朗読をしていることは知っていたものの、今回のツアーで「耳なし芳一」を上演することはご存じありませんでした。
演目を、事前に発表はしておりませんでしたし。

しかも、数年前、我々は、「耳なし法一」の上演を、舞台となっている、赤間関〜下関、壇ノ浦〜関門海峡、阿弥陀寺〜赤間神宮・・・で、上演、奉納していたのです。

その時のことは、忘れやしません。
ちゃんとお祓いをしてもらって、朗読に臨んだのですが、お客様たちは「よかった」とおっしゃってくださったものの、僕自身は、声を出せども出せども、客席に届かず、体が石のように重く、終演後は、すっかり疲れ果ててしまったのでした。

後で聞いた話ですが、何人かのお客様から、僕の背後に、本当に火の玉が飛んでいたのを見た・・・というのです。

思えば、あれから災難続きでした。

今回、佐賀、肥国から出雲の地への朗読ライブツアーでしたが、「関門海峡を素通りするのか〜〜〜〜!!!!!」と、平家の亡霊たちに言われたかのようで、この映画への出演オファーを断れるはずもなく、いや、むしろ、そりゃあ、何度となく読んできた作品ですし、キョージとも、まずは「耳なし芳一」からと始めたのですから、のぞむところでありました。
小泉八雲の百回忌の奉納として島根県、安来の清水寺で行った朗読が、そもそも、この「朗読のしらべ」のきっかけでしたし。

松江の公演を終え、下関に着くやいなや赤間神宮へ直行!!
平家のお墓参りをし、法一像を拝み、お祓いを受け、清らかな、清々しい気持ちで、晴れ渡る日に、関門海峡を臨みつつ、いにしえに、筑紫や豊、肥国と出雲や越国の大国主ネットワークに挟まれた長門や周防の国の人々の気持ちを想い、また、源平、戦国時代、徳川の長く続いた世、そして、幕末の馬関戦争、戊辰戦争、会津戦争、上野戦争、太平洋戦争、そして今も続く、世界各地での戦争、紛争、対立、差別・・・そうした、壮大な歴史の時間の流れを、ただ一瞬の風のように受け止め、「耳なし芳一」の言葉が救いとなったならば・・・との想いが湧いてきたのでした。
言葉で争いが簡単に止められないことは、重々承知の上で、それでも、芸能の仕事は、鎮魂と救いの想いのためにあるのだと信じて。

出演場面の撮影は、無事に終えることができました。
耳なし芳一の重要なセリフは、自分に言い聞かせるようでもありました。
やっぱり、目に見えない存在ってあるのかな?

デビュー映画「夢みるように眠りたい」のスタッフだった旧友が制作として働いていた場だったこともあり、お声がけいただき、まるで、禊のようでもあった今回の旅、まさに、「はらいたまえきよめたまえ」でありました。

ただ一点、小泉八雲のひ孫であり、朗読公演の監修、講演を務めてくださっている小泉凡さんが、公演直前に骨折事故を起こし、嬉野の公演には参加できなかったのは残念でした。
鉄道ファンの凡さん、列車移動も楽しみだったでしょうに〜〜〜残念!!

でも、その分、厄落とししてくださったのかもしれません。
申し訳ありません!!!!!!
凡さん、どうか、お大事に!!!
無事の、ご快癒を!!!

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★嬉野公演、開演前。


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★嬉野から武雄温泉発、「リレーかもめ」で、博多へ‼︎カッコいい‼︎


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★博多から岡山へは新幹線。で、ものすごく揺れる、伯備線「やくも」で松江へ。


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★松江の喫茶MG。通い始めた時はあっちゃん、21歳だったっけ^_^


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★MGのカツ丼は、日本一‼︎(ご飯少なめにしてもらいました)


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★松江、宍道湖に沈む夕陽も日本一‼︎(お国自慢全開^^;)


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★へるん先生傑作選


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★朗読とは言え、会話部分は力が入ります。


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★キョージのギターも唸ります🎶


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★松江市長を囲んで。上定市長はアフタートークにもご登壇いただきました。


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★「スーパーおき」で山陰本線を下関に向かって!


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★日本海を臨み、山陰本線、島根縦断!


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★下関、赤間神宮。


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★赤間神宮、耳なし芳一像。

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