雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇二四年極月二日

師走だ〜〜〜〜。
今年もあっという間に過ぎていきました。
多発性骨髄腫の闘病で、抗がん剤治療、造血幹細胞移植をして退院してから丸3年。
おかげさまで、寛解状態となり、本当に元気に過ごせていることに感謝するばかりです。
元気になると、仕事も以前と変わらず映画やドラマの撮影に追われ、今年は舞台にも立ちましたし、音楽のことも、ここのところ続いていて、うれしい悲鳴。
でも、体調、過信しないようにと、戒めつつ。

で、先月も韓国に行っていたのですが、今回はテジョン(太田)ではなく、グンサン(群山)という、南西の方、海の近く。
この街は、日本統治下時代の名残が街の中にあって、と同時に、独立に向けて戦った人たちの資料館などもあり、歴史を感じさせます。
日韓を行き来していると、両国の近現代史を照らし合わせながら、なるほど!!と腑に落ちることも少なくありません。
日韓の歴史の本などから、特に太平洋戦争後の時系列を辿ると、なんとなく両国の、いや、連合国の対応を巡って、中東の、イスラエルやアラブ、パレスチナ問題とも無関係ではなかったのだなと、1945年の終戦以降のことがますます気になり始めます。
韓国映画やドラマを見続けているので、北朝鮮との問題を扱ったものも少なくないですし、アジアの中の日本も、その只中にいるのだと、じわじわと感じてくるものがあります。

島根県、出雲の地、松江を故郷とする人間としては、神話の時代からの行き来もまた、国や時代を超えて、海流や気流のように、クニやその地に住む人々の心と体もまた常に流れているのだと実感してきます。
自分の体の中だって、常に代謝を続け、体の中で戦争が起こり、炎症が起きたり、爆破されたりしているのですものね。そうして、平和な体を取り戻すべく、努めると。
う〜ん、でも、そう考えると、イスラエル側ががん細胞としてパレスチナを捉えているのか・・・とも思ってしまうし、イスラエルの人々だって、一様にパレスチナと敵対しているということばかりでもないだろうし、どうも国家と市井の人々とのズレを感じてしまい、もどかしくなるばかりです。

群山の街には日本家屋も残されていて、その一角にはおしゃれなカフェやレストランもあって、なかなか居心地が良いです。
なんでも、中華料理も有名だそうで、対岸は中国ですし、韓国と中国の関係も、遡ればとてもとても深そうです。
で、中華屋さんに入ったのですが、韓国は、何料理でも、やっぱり韓国料理!!って感じがします。
でも、四川風のジャージャー麺や酢豚もとても美味しかったです。
あと、海が近いので、海鮮も!!
渡蟹の醤油漬けみたいなのが美味しかったな・・・まあ、そこにも唐辛子が入っていて、汗をかきながら食べましたが^^”

テジョンもそうでしたが、美味しくて有名なパン屋さんがあり、そちらも覗いてみました。
キャベツパンというのがとっても人気で、朝ごはんにとパンを色々買いましたが、確かに美味しかったです。
炒めたキャベツやひき肉が入ってたのかな?具もたっぷりで。
李盛堂(イソンダン)っていうパン屋さんなのですが、いろんな種類のパンの中に、なぜかどら焼きが!!
聞けば、このパン屋さんは戦前までは「出雲屋」(!!!)という和菓子屋さんだったそう。
韓国のサイトで調べてもらったら、1906年に、島根県出雲の、廣瀬安太郎さんという方が開業したとのこと。
太平洋戦争終戦を迎え、帰国せざるを得なかったのでしょう。
両国の人々の、いろいろな苦労があったんだろうなと、想像します。
和菓子屋といっても、あられなどが人気だったようで、出雲の「ぜんざい」〜神在(じんざい)が訛った逸話も思い返します。韓国のいちパン屋さんから神話の時代へと直結するイメージが湧くとは!!
・・・どら焼きも、その名残なのかな?
戦前からの同じ場所で、今も営業を続けているそうですから、お店の名前は変わっても、従業員の方々が、もしかしたら、そのまま受け継いだことも考えられますよね?
で、太平洋戦争終戦後、ソ連とアメリカとの間で、朝鮮半島が結果として分断されることになってしまった・・・と。
日本同様に、韓国も独立したとはいえ、南はアメリカに依存せざるを得なかったことから、小麦を輸入し、パンの製造が盛んになったと・・・そんな流れでしょうか?

島根に戻れば石見銀山の美味しいパン屋さん群言堂〜ベッカライ・コンディトライ・ヒダカさんは、ドイツパン。
なんだか、パンに限らずですが、美味しい食べ物を辿っていくと、歴史も連なって浮かび上がってくるかのようです。

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★群山の日本家屋。資料館になっていました。


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★日本家屋がカフェになっていたり。


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★韓国独立のために戦った方々のようです。こちらも資料館に。


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★海に近い海鮮やさん。ワタリガニ、美味しかったけど、唐辛子、結構キイてました!!


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★大人気のお店は長蛇の列だったので、断念してこちらへ。ここも人気のお店のようで、隣のお客さんから「ここに来たら酢豚を頼まなきゃダメだ!!」と言われました。カムサハムニダ。


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★四川風ジャージャー麺。麺と別々に出す流儀のようです。ジャージャー麺には必ず沢庵漬けが付いてきて、たくあんがないとダメなんだそうです。テーブルの上にも日本と中国の両国に翻弄された韓国の歴史が流れるようです。


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★定番、バケットなども。


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★1906年開業「出雲屋」、李盛堂は出雲屋と同じ場所で営業を続けています。 おもち、「むし物」って看板にあるから、おこわや赤飯なんかもあったでしょうね。 和菓子屋というよりお煎餅やさん? こちらには日米に翻弄された歴史が・・・

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