雑記帳 二〇二四年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二二年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二一年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇二〇年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇十六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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二〇十三年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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二〇〇九年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇八年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇七年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
二〇〇六年 睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 葉月 長月 神在月 霜月 極月
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橘井堂二〇二四年葉月十八日

JIS企画最終公演「コスモス 山のあなたの空遠く」は、過ぎ去りし過去や亡き人が現在に、確かにここに存在するかのように感じられる物語だったと、あらためて思うのは、お盆を前にしていたこともあったのかもしれません。
で、母親の初盆のため、松江に帰郷。
安政時代に建てられた家屋を5代前の初代が購入し、町医者を開業したのが明治11年(1878)。
小学1年生の時に東京から家族4人で引っ越してくる前までは、吹き抜けで、太い梁が頭上にあり、囲炉裏を囲んで食事をしていたのを、覚えています。
明治どころか、江戸時代の空気が、まだ戦後10年頃までは残っていたのです。
台所は土間で、竈があり、薪でご飯を炊いたり料理をしていましたから。
お風呂も五右衛門風呂で。
いや〜〜〜懐かしや。
歳を取ったことを実感しますです。

仏間で、和尚さんにいらしていただき、棚経。
菩提寺の善光寺は、佐々木高綱が興し、乃木希典は高綱を祖としているので、何度も参っていたそうで、なので、その地、乃木村の乃木から姓を乃木としたとか。
ドラマVIVANTの主人公も乃木でしたが、松江や奥出雲のロケもありましたし、案外、無関係ではないかも。

家業は分家した弟が、実家の隣で続けていますが、家は長男が継ぐもの・・・と、5代目の私が祖先からのお墓を守らねばならないとの両親からの伝え。
一家族にしろ、国家にしろ、器を変えないことが大命題となると、まあ、100年を超えたあたりで、その時代との乖離が生じ、辻褄が合わなくなるのは、企業にしろ、商店街にしろ、同じなのかもしれません。
なので、看板は変わらなくとも、中身をその時代時代に適応できるように変えていくのでしょう。
そうは言っても、維持しなければならないのは大変!!
過疎、シャッター街、空き家、少子化問題は国家レベルの課題でしょうが、一個人にとっても重くのしかかってきます。
なので、まずは、150年分の遺品、廃品処理、断捨離!!!
いやあ〜〜〜〜どれだけゴミを出しただろう・・・まだまだ道のりは遠いですが、この先も、しばらく、この作業は続きそうです。
でも、なんだか、すっきりしてきて、祖先も喜んでいるんじゃないかな?(と、言い訳^^")
だって、高度経済成長に突入した頃の、あの、古い江戸の時代の空気が残る家屋は、物も少なく、機能的にできていたような気もしますし。
あまりにもモノに囲まれすぎてきたことに、断捨離してると気付かされます。
・・・じゃあ、今、自宅にあるレコードやギターや、本やカメラはどうなのよ!!!と、奥さんに怒られてしまいそうですが^^”

両親が二人とも亡くなってしまったので、兄弟妹親族たちと、食事は、これまでのお懐石などではなく、歓楽街の雑居ビルにある町中華で気楽に。
いや〜、楽しかった〜〜〜!!!
もう一軒!となったところ、義弟が仕切ってくれ、以前はお役人さんだったネットワークで、老舗のスナックへ。
街にはなぜか、若い人たちが多く、お店も爺さんたちはほとんどいませんでした。
お盆だったからでもあるのでしょうけれど、スナック、エモい!!と、人気なのかな????

これまで嫁いできて40年、実家に帰ると、ずっと台所に立ちっぱなしだった妻も、昼間は断捨離で休む間もなかったけど、今回は家事はなし!!なので、松江の美味しい店やBARで息抜き。
帰省中、灯籠流しもあり、戻ってきていたこの街の祖霊や母を、松江大橋から臨む光景〜宍道湖から山々、天空へと連なる、暮れゆく宍道湖〜浄土へと送る気持ちで眺めておりました。

猛暑は松江も変わらずですが、夕暮れると、水辺の風は涼しく、本当に気持ちが良かったです。
甲子園で、大社高校が勝ち進んでいるので、そちらの熱さは、また別物でしたが。

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★なんとも、幻想的な光景でした。


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★珍しく、親族で歓楽街の町中華へ。この雑居ビル、1970年代初頭ぐらいまでは、確か「スワン座」っていう、ピンク映画館だったような???「映画と実演」なんて看板が刺激的でした^^"


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★この、昭和なスナックのソファーの、リアルな質感よ!!!カラオケは、私はアローナイツの「献身」、カミさんは青江美奈「池袋の夜」。弟はキャンディーズの「銀河系まで飛んで行け!」、わかってるね〜〜〜^^"

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